<   2014年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧


2014年 03月 24日

無事に帰ること

【これまで歩いた総距離数】 5,217km 
【現在地】北海道 札幌市 実家
【旅の行程】 徳島県 阿南市 フミさん実家にゴール








 

 

私達の台湾縦断出発日が決まった!

4月30日ジェットスターで関空から台北へ飛び立つ。

私もついに海外デビューだあ~。

 

今のところ海外だからと言って特に気負いはないのだけど、多分着いてから

「あれー?うっそぉ~どして~」ってなことになるんでしょう。

世界あちこち歩いたパートナーいるけど、多分一緒に「あれ~?」って言ってるんだろうなあ。

 

今日は、私より一足先に海外へ旅立った友人と、これから旅立つ友人のことを書こう。

 

 

 

 

 

 

 

一足先に海外へ行ったのは、沖縄の西表島で一緒にジャングル縦走して、数ヵ月後には

四国も歩いた舞ちゃん。

彼女と初めて出会ったのは2013年の4月、屋久島のゲストハウス「とまり木」だ。

長野県からゴールイベントに駆けつけてくれてくれた、よっしーもこの時出会った。

a0115762_21194590.jpg


 

 

 

 

 





 

初対面の舞ちゃんは「二人で旅してるんですか?すごーい!!私もいつかテントとか買って

旅とかしたいんです~」と元気いっぱい。

自分とは違う世界に憧れる女の子って感じだった。

 

長いこと旅をして多くの出会いと別れを繰り返すと、一瞬の出会いでもこの人とは

また必ず何処かで出会うことになるだろうって、直感で分かるようになると言う。

そういう一般社会ではあまり役に立たたない直感は、確かに働くようになると思う。

 

でも正直に言うと、舞ちゃんと出会ったときは、また会うことになって、しかもこんなに

濃い仲になるとは思いもしなかった。

 

可愛いのに、お酒飲むと毎回オッサンになる舞ちゃん。

a0115762_21195824.jpg

 

 

 

 











 

ほろ酔いで、タイ式マッサージしてもらって天国~って感じだな。
ホント嬉しそうにお酒飲むんだよね。

a0115762_21201013.jpg

 

 

 

 










その舞ちゃんは2月から南米を一人で旅している。

近況の写真を送ってくれたんだけど、あまりにも舞ちゃんらしくって、私はもうすっごく

嬉しくなっちゃって、ブログで出してもいいよ~ってことなのでちょこっと紹介。

a0115762_21220787.jpg

 

 

 

 











 

ボリビアのサンタクルスでのカーニバル。

a0115762_21222280.jpg

 

 








 




参加した~い。

a0115762_21223788.jpg

 

 













 

半月滞在していたボリビアの友人の夫が狩りをするそうで、その獲物の写真。

これは『ホチ』という食用ネズミなんだって。

a0115762_21225188.jpg

 

 






 






こっちは『アンタ』という生き物で、もう食べたそうだ。

さすが海外、当然日本の常識は通称しないワケだけど、舞ちゃんならそいうことも楽しんでるハズ。

 

ついこの間、西表島でハブ食べてワイワイ騒いでいたのに、成長(と言うのかどうか?)したなあ~と感心したのだ。

 

舞ちゃんは4月に日本に帰ったら、次は私達と一緒に台湾を歩く。

何日間なのか、どの辺りを一緒に歩くのか、まだ何も決まってないけどかなり楽しみ。

 

今年は仕事を休んで旅中心の生活をするそうで、夏は北アルプスのテントで過ごし、そのまま北海道へ北上して
シャケバイトも考えているそう。

アメリカのセドナ、ヨーロッパのクロアチアにも行きたそうだ。

 

仕事はどうしているのか?

専門的な職業についていて、上司にも認められている。
旅をしたいから辞めると言ったけど、あなたの働きたい時に来るスタイルでもいいから、辞めずにいて欲しいと
言われているのだ。

当然、他の社員からの風当たりは強いそうだが、そんなこと気にしてやりたいこをを我慢する

ヤワな子じゃない。

 

今は、たった数日ゲストハウスで一緒だった仲なのに、一緒に歩きたいと連絡して来てくれた
舞ちゃんの行動力に感謝してる。

これからも長い付き合いになるだろうと思える友人になれた、きっかけを作ってくれんだからね。

a0115762_21230494.jpg

 

 

 

 

 








 

そしてこれから海外へ旅立つのは友人の、まーくん。

フミさんの親友ヒロくんの幼なじみで、静岡でヒロくん夫妻を通じて仲良くなった人。

 

写真は、5年前に自転車で私達のテント場に来てくれたのに、温泉へ行っていなかったとき

残してくれた、差し入れとメモ。

その後も何度か旅先に来てくれたり、徳島にも来てくれたりしている。

a0115762_21231824.jpg

 

 

 











 

この間、そのまーくんが北海道に遊びに来ていて、久しぶりの再会。

なんと、仕事も辞めて今年の5月に、北米大陸最高峰のマッキンリーに挑戦するというではないか!

今はその訓練も兼ねて車中泊しながら東北、北海道の雪山を攻めてるそうだ。

 

マッキンリーともなると、使うアウトドア用品も本格的。

噂に聞いていたマイナス40度対応のシュラフの寝心地を試したりしていたら、母が楽しみにしている韓流ドラマの始まる時間!

取りあえず一緒に韓流ドラマを見てもらって。

a0115762_21234463.jpg

 

 

 











 

a0115762_21240230.jpg

 

 













 

あれ?今度は誰が入ってるの?

a0115762_21241607.jpg

 














 

もちろん何でも挑戦したがる母。

このシュラフは温かいだけじゃなく、伸びがよくてかなり大胆に手足を伸ばしても窮屈さがない。

ほとんど布団と同じと言ってもいいくらい。

これはちょっとビックリ。

a0115762_21244539.jpg

 

 












 

ドラマの後は、3人で登山の準備の話で盛り上がった。

装備、費用、訓練、などなど興味は尽きない。ちなみに今回の費用は135万円ほど

う~ん高いのか、安いのかよく分からない。

 

体力レベルとしては

・国内で標高差1,000m以上を登り降りできる

・3泊4日以上の長期山行経験がある

・ソリを使って20キロ前後の荷物を荷揚げ出来る

5,000m以上の高所経験がある

 

などなどあった。

もちろん、まーくんはどれもクリアしているけど、20キロのザックを背負って

冬の富士山でテント泊とか、色々訓練しているようだ。

そんな話で盛り上がり、寝たのは3人とも夜中の3時。

 

写真は、最終アタックに向けて、高度を上げながら荷揚げする日程表。

a0115762_21245931.jpg

 

 













 

翌日はニセコの山に登るので、6時半には家を出発すると言っていたまーくん。

前日かなり飲んでたし、それは無理でしょうと思ったんだけど、私と母が起きた頃にはもう

パッキングも終わって、いつでも出発できる様子。

(フミとあゆみとは大違いだなあ・・・)

急いでおにぎりと、お弁当を用意してくれる母(私達も旅先では、よくそうしてもらってるから、やっぱり嬉しい)

a0115762_21251465.jpg

 

 













 

私なんて飲んでもいないのに頭がぼお~っとしてるのに、まーくんは久しぶりの布団で

ぐっすり眠れたと言って、まったく問題なさそうだ。

我が家に来るのは初めてだけど、母は人類皆友達主義なので。

a0115762_21254046.jpg

 

 













 

車中泊している車の装備にも興味深々。

a0115762_21255734.jpg

 














 

救急箱の中はカメラだった。

a0115762_21261977.jpg

 

 

 

 

 








 

マッキンリーという山の名前を聞いて、冒険家の植村直己を思い浮かべる人も多いだろう。

私もそうだ。

植村さんが消息を絶った最後の山。

 

まーくんは、マッキンリーの前に、ヨーロッパの山も登りに行く予定だ。

 

とにかく、無事に帰って来て欲しい。

舞ちゃんも、まーくんも無事に帰ってくれたらそでいいと思ったけど、これから何かに挑戦しようとしている
友人に、心配しているとは意外と言えなくて「またね~っ」て見送った。

 

私達を見送る人達も、そんな思いでいるのかな。

とにかく無事で帰ること、それが何より大切。

a0115762_21263603.jpg

 









にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村ブログランキングに参加してます。ここをクリックするとポイントになるんです!押してね~。



一緒に歩いている歩き人ふみのブログ⇒「歩き人ふみの徒歩世界旅行 日本・台湾編」

タスマニア島に住むフォトグラファーの兄のブログ⇒「タスマニアで生きる人たち」

by ayumiaruki | 2014-03-24 21:41 | Comments(6)
2014年 03月 18日

30年を3分で飛び越えた

【これまで歩いた総距離数】 5,217km 
【現在地】北海道 札幌市 実家
【旅の行程】 徳島県 阿南市 フミさん実家にゴール


                    




 

札幌での出来事も、ぼちぼち更新してゆこう。

旅とは関係ないけど、日記でもあるしね。

  

 

 

 

 

 


 

私は道庁に勤めていた父の仕事がら、小学校の頃から3年に一度は引越しして北海道各地に住んだ。

その中でも函館から、さらに遠い松前は忘れられない町だった。

 

引越しした初日から衝撃で、家に挨拶に来た近所のおばさんは

「ちょっと奥さん、1万円貸してくんねが?」と言い放ち

(それから近藤家では「1万円のおばさん」という、あだ名がついた)

 

前の学校のブレザーを来て、登校した兄は「お前、こんなの着てなにカッコつけてるんだ」と
喧嘩をふっかけられ、ブレザーがビリビリになるまで格闘して帰って来た。

 

小学5年生の私は下校時、小高い場所で待ち伏せしていた女の子に雪玉をぶつけられた。

いったいなんて所なんだ。
こんな歓迎をした町は今までどこにもなかったぞ。

 

けれど松前の人は、一度親しくなると血を分けた兄弟のように親身になり情が厚かった。

家族それぞれが忘れられない親友を作り、めいっぱい楽しんでいたのを覚えている。

近藤家の思い出の場所なのだ。

私の親友になったのは、あのやんちゃな雪玉少女。

 

 

 

  


 

 

その松前の小学校で記憶に残っているのは、まん丸の目をして、勉強が出来て、いつも何か面白いことをしては
女の子をからかっていた長岡君。

男の子からも慕われて自然とリーダー的な存在になっていたけど、リーダーぶらなくて、それでも正義感みたいな
ものを感じさせるところがとても印象的だった。

呉服店の息子だった彼は、皆が当然のようにストライプのジャージを着ている中、トラッドでおしゃれな服装で
そんなところも子供の頃の私には、何かが違う特別な存在に見えたのだ。

a0115762_23380697.jpg

 

 

 

 

 










 

一方私は、自分でどんな子供だったかよく分からない。

小学6年生の写真。

a0115762_23382017.jpg

 

 

 

 

 

 

 








 

松前も3年で引っ越すことになった。

それからも何度か転校、引越しをしたけれど心の何処かに、あの松前町の思い出と特別な少年、長岡君の面影があった。

会ってみたいけど、仕事や家庭のグチばかり言うような人になってたらどうしよう?

まあ人生なんて所詮こんなもんだよと、すべてに諦めた人だったら?

悪趣味なネクタイに、ヴィトンのポシェットとか持ってたら?

これはかなりショックなことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、その長岡君から、思いがけずこのブログにコメントがあって再会することになった。

30年ぶり。  

緊張の再会だったんだけど、会って3分で心は小学校時代にタイムスリップしてしまった。

長岡君は広告代理店でコピーライターの仕事をしていて、CMなんかも作ってた。

肩書きは「エグゼクティブクリエイティブディレクター 本部長」という舌かんじゃいそうな

偉い人になっちゃって。

でも、それより何より小学校時代と変わらず、人を巻き込み惹きつける魅力そのまま、生き生きとしてて

とても幸せそうだったのが嬉しかった。

そういえば子供の頃から面白いあだ名を付けたり、変な歌作ってたり、あれって実はクリエイティブな

少年の始まりだったのかな?
あの、腐った弁当の歌が?ハンバーグステーキのあだ名が?

a0115762_23383224.jpg
 

 

 

 











 

43歳、お互いに「今、幸せなんだ~」と言える人生を送っているというのはきっと素敵なことだよね。

a0115762_23384673.jpg

 

 

 

 

 










 

で、同級生というのは酔っ払って悪ふざけするものだ。

変な顔で写真撮ろーー!

a0115762_23390047.jpg

 

 









 

a0115762_23391487.jpg

 












 

 

a0115762_23392674.jpg

 

 









 で、女の子が嫌がるまで、しつこく悪ふざけするところも変わらないようだ。

a0115762_23394083.jpg

 

 


 









後日、私の苗字が変わったのもあって、長岡君が新しい名刺をデザインしてくれることになった。
それとキャッチコピーも。
あいたん(私のあだ名)も何かアイディアを出してみてということだったので、私が何か描いてと言われると
描いている足跡マーク送ると、その日のうちに数種類のデザインが送られてきた。早い!!
その中で決定した名刺の裏デザインがこちら。

長岡君からのコメントには
足跡のイラストでビジュアルを作ってみた。
人の間をぺたぺた歩いて、A(あゆみ)になる。ってかんじのビジュアルです。
ほっつき歩いているかんじです。


とあった。
とっても気に入ってる。

同級生の活躍は刺激になるね。
ブログをしていなかったら、こんな再会も実現しなかったんだろうなあ。
で、そのブログ、今回のタイトルは内容を読んだ長岡君がつけてくれました。
こういうのも楽しいね。









 
                       あゆみ、つづける。

image.jpeg 











にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村ブログランキングに参加してます。ここをクリックするとポイントになるんです!押してね~。

一緒に歩いている歩き人ふみのブログ⇒「歩き人ふみの徒歩世界旅行 日本・台湾編」
タスマニア島に住むフォトグラファーの兄のブログ⇒「タスマニアで生きる人たち」

by ayumiaruki | 2014-03-18 23:45 | Comments(4)
2014年 03月 13日

震災から3年

                   
【れまで歩いた総距離数】 5,217km
【現在地】北海道 札幌市 実家
【旅の行程】 徳島県 阿南市 フミさん実家にゴール









 

2011年3月11日、私は鳥羽の旅館で仲居のバイトをしていた。

そこではいつもと変わりなく大広間で宴会があり、とても複雑な心境で配膳をした記憶がある。

 

3ヶ月のバイト契約期間が終わってフミさんと合流、当然二人ともいつものように旅へ

出る気にはなれなかった。

日本全国の人がそうだったように、私達も何かしたいという気持ちが強くあったけれど

何のスキルもない人が被災地に行っても、かえって負担をかけるだけということも知っていたし

原発の情報もまだ混乱している時期だった。

 

けど、いつも人の親切に助けられている私達が何かをしなければならないんじゃないかと

考えていた。

行動したくても、仕事や家庭の事情で出来ない人が沢山いる。

 

そんな時、旅の途中三重県の尾鷲市で親しくなった、市議会議員で「東紀州コミュニティデザイン」

の端無さんと会う機会があって、その繋がりで「三重災害ボランティア支援センター」の

スタッフとして、岩手県山田町のボランティアセンターの立ち上げ支援をすることになったのだ。

 

私のブログでは当時のことを詳しく書く機会がなかったので、あれから3年たった今

書きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸で合流した私達は、ボランティア活動に必要そうな装備、物資、食料を購入し三重県まで移動

三重県災害ボランティアセンターの責任者と顔合わせや、とても簡単な説明を聞き

他のスタッフ2名と車に乗り込んで、20時間かけて岩手県の山田町へ向かった。

 

通行止め区間や余震などもあり、何度も迂回したり情報を集めたりしながら、運転も交代して

現地に向かった。

山田町が近づくと、その光景に誰も何も言えなくなった。車の中は静まりかえったままだった。

テレビで見るのと、そこにいて実際に自分の目で見るのとは、感じ方がまったく違うのだ。

a0115762_02075078.jpg

 

 




 









 

a0115762_02080300.jpg

 

 

 

 

 









震災から一ヶ月後の4月11日、「山田町災害ボランティアセンター」に到着した。

私、フミさん、オレンジのジャンパーを来ている女性の3人は、このまま半月ここで

スタッフとして活動する。

神奈川に住んでいる友人も途中で合流し、数日間ボランティア活動した。

彼らはその後も仕事の休みを取っては、何度もここで活動をし続けている。

 

この建物はもともと、B&G海洋センターだった場所だ。

a0115762_02081407.jpg
 

 

 

 









そのまま、すぐに避難所へ行って調理補助や物資センターで支援物資の仕分けをしてから

ボラセン(ボランティアセンター)に戻る。

この武道場が私達スタッフと、これから来るボランティアの人の寝場所だ。

a0115762_02082886.jpg

 

 

 











 

ボラセンは昨日電気が通ったばかり、水道はまだ復旧していないから持参した

ペットボトルの水で過ごす。

トイレは外にある仮説トイレ、食事は持参した食材、米、カップ麺、カロリーメイトなどで

これから半月もたせなければならない。

こういうことには慣れているから問題ないのだけど、想像以上に寒かった。

畳の上でもこの寒さだから、被災者の人はどれだけ寒かったことだろう。

a0115762_02084139.jpg

 

 

 












 

ここが、活動中ほとんどの時間を過ごした体育館。

半分は物資置き場になっている。

a0115762_02085607.jpg

 

 

 










体育館の片隅にテーブルを置いて、これから来てくれるボランティアの受け入れ体制の準備など

するのだけど、経験のあるスタッフは仕事の都合もあり3日間で三重県へ帰らなければ

ならなかった。

 

三重県から一緒に来た女性スタッフ1名と私達の3人で、毎日マニュアルを作るところから始まり

数字の報告、三重県のボラセンへのレポート、山田町のボラセンに来ている各県の社共の人達

他団体との会議、打ち合わせなどなど、やっても、やってもやらなければならないことがあり

責任の重さをひしひしと感じながらも手当たり次第という感じで、自分の力不足を感じた。

a0115762_02092288.jpg

 

 

 

 

 

 









このころはやっと、流れが出来た頃。

事務用品などここで使われるものは、すべて三重県から持参したものだ。

a0115762_02093876.jpg

 

 












 

大まかな流れは、ニーズ調査、マッチング、車両物資手配、報告。

 

地元の社共の人が、現場でニーズ調査(ガレキの撤去、家財道の泥掃除などなど必要としている

ボランティア活動の調査)をして、集まったボランティアの方にどの作業をしてもらうのかの

マッチングをする、作業内容に合わせてスコップなど道具を手配し、作業現場への車両を手配する。

作業が終わったボランティアから内容聞き取り調査をして、翌日も作業が必要かなど書き込み

それらをまとめたものを報告する。

 

今現在、どこに何人ボランティアを派遣して、進捗状況はどうなのか分かるように作ったボード。

取りあえずのやっつけで作ったものが、最後まで役に立ったりする。

a0115762_02095553.jpg

 

 











 

毎日のニーズ調査を担当していた山田町の方、とても思いやりのある人だった。

地元社協の人は自分達の家も被災している方ばかりなのに、ほとんど全員が震災直後から休みなく

働き続けていた。

普通の状況ならまだしも、余震も続き、非日常の緊急時で体がもつわけがない。

気を張った精神状態だけで持ちこたえているのだと思う。

 

あと、日量のパンは保存料がたくさん入っているらしく日持ちがするから震災時には役立つ。

朝食、昼食は、パンというのが多かった。

a0115762_02101558.jpg

 

 











 

ボランティアの人も日に日に沢山集まるようになった。

a0115762_02103259.jpg

 

 











 

数日間続けて来れるボランティアの方や、建築現場なのど経験のある人には直接話して

複雑な作業や、力を使う作業、なるべくその人が持っているスキルを生かせれるような

マッチングをしたいと思ったけど、そうそううまくはいかない。

 

東京から仕事の休みを取り、夜行バスでやってきた、装備もバッチリのがたいのいい男性に

避難所の調理補助をお願いすることもあったけど

「活動内容を選ぶような状況じゃないですから」と快く引き受けてくれることもあったし

 

救援物資の仕分けという活動を終えてから、内容に対する不満を3時間、延々と語り続ける人もいた。

 

弁当はどこに売っているのか普通に質問する人もいた。

 

ガソリンも積んで、自前のユンボを運転してはるばる来てくれた年配の男性にはユンボを使った

作業は一般ボランティアには出来ないと説明しなければならず、でもどの家もユンボで撤去して

欲しいものがたくさんあるのは分かっているから、それも辛かった。

しかしそれもルールだった。

 

どの人も何かしたい、しなければという熱い気持ちで被災地に入り、その光景を目にして

思うところもあるだろう。

ボラセンがまだ上手く機能していないのもあったし、ルールばかりの現実に不満もあったりで

そういうものを爆発させる人が想像以上にたくさんいた。

その対応で多くの時間を必要とされるというのもジレンマだった。

でも誰かが話を聞かなければならない。

言ってることも分かる、私達だって何とかしたいんだとも思った。

a0115762_02104905.jpg

 

 

 










ボランティアに参加される皆さんはほとんど、装備や服装が万全だった。
しっかりと覚悟をして来てくれていると感じた。

a0115762_02110804.jpg
 















 

武道場も、泊まり込みのボランティアの人で混み合ってきた。

a0115762_02112202.jpg

 













 

しかし、人が増えるとゴミも増えるのが現実。

ゴミの収集や償却などはまだまだしばらく出来ない状況だから、車で来ている人が家へ帰るときは

車いっぱいになるまでゴミを持って帰ってもらうのが暗黙のルールになっていた。

a0115762_02113908.jpg

 

 













 

必然的にボラセン施設内のルールも多くなってしまう。

全員、毎日パンとカップ麺、睡眠不足が続いているので、インフルエンザや風邪の予防も徹底していた。

衛生面の管理は一緒の女性スタッフが担当。

外でボランティア活動している人は実際、毎日かなりの重労働で、消灯時間前には

ほとんどの人が眠っていた。

a0115762_02115449.jpg

 

 

 







 

 

 

 

しばらくするとお風呂も復旧。

車がない私達3人は現地にいた半月の間に、1度シャワーに入ったのと、ここを出る頃に

1度お風呂に連れて行ってもらった。

ボラセンの人達からは、きたない3人組と言われてたっけ。

a0115762_02121087.jpg

 














 

水は到着してから1週間くらいで復旧したように思う。

トイレはずっと故障したままだった。

a0115762_02122650.jpg

 

 

 













 

こう見ると普通の会議室だけど。

a0115762_02123927.jpg

 

 

 














卓球台の裏はスタッフの寝床だったりする。

a0115762_02125671.jpg

 

 















 

ボラセンへの差し入れというのもあって、食料がなくなってきた後半はとても助かった。

a0115762_02130985.jpg

 













 

玄関にあった、応援メッセージボード

a0115762_02132578.jpg

 














 

ブラシ、スコップ、軍手、ほうき、などの道具も揃ってきて、バスで来るボランティアの方に

大勢まとまって活動してもらえるようになった。

 

a0115762_02133933.jpg















 

この「くじら館」へはたくさんのボランティアの方に作業してもらった。

私達は一度も泥の撤去作業などをしたことがないけど、ボラセンのスタッフというボランティアも

誰かがしなければならないことだ。

でも、正直に言うと、外で活動してくるボランティアさんが羨ましく思うときもあったな。

a0115762_02135331.jpg

 

 














 

私達が、ボラセンにずっと缶詰状態でいることを気にかけてくれた他団体の代表の方が

「山田町もずい分と変わったんだよ、帰るまえに見て欲しい」と少し空いた30分で

役場と町を案内してくれた。

a0115762_02140670.jpg

 

 














 

壁にもヒビが

a0115762_02142171.jpg

 

 

 

 














 

支援物資の仕分けも、多くのボランティアさんに作業してもらった。

仕分けは手作業でコツコツと地道に続ける。

たとえば下着、サイズ別、色別で分けて、スパッツなどは長さ別にも分ける。

それが何個、どこにあるのか、分かるようにするだけでもかなりの時間がかかる。

 

物資はたくさんあるのに、被災者の方にはうまく渡っていないように思った。

災害時に、必要な物が必要な人の所へ、必要数だけ行き渡るようなシステムを誰か考えて

くれたらいいのになと素人ながら思ったものだ。

流通関係の仕事の人とかどうなんだろう。

a0115762_02143560.jpg

 

 

 













 

私達が到着した頃とはずい分変わっていた。道が道とわかるようになり、一般車両も増えている。

到着時は自衛隊の車両ばかりで物々しかったが、その自衛隊の機動力にも圧倒された。

さすがだなと感心した。

a0115762_02144914.jpg

 














 

山田町に来てから、もう2週間ほどたっていた。

余震も何度も経験して、カップ麺を食べて、それだけなのに私は被災者の気持ちが分かったような

気になっていたのかも。

こうして写真を撮っている人を車内から見た時、とても憤りを感じたんだけど、でもこの写真が何かの雑誌に
掲載されて、自分もボランティアに参加してみようという人が増えるかも知れない。
それなら山田町の復興に役立つし、それともただの記念撮影かも知れない。 

いいことか、悪いことか私にはよく分からない。

a0115762_02150302.jpg

 

 

 













 

a0115762_02151508.jpg


 

 

 












「帰る前に見てほしい」と連れ出してくれたのは、最近逮捕されたリバーネットの岡田さんだった。

彼を擁護するつもりはまったく無いが、私達が到着する前から山田町のボラセンにいたので

事実とてもお世話になった人だ。

だから、なおさら今回のことはとても残念でならない。

a0115762_02153084.jpg

 

 

 












 

ボラセンを去る日が来た。

山田町社協の方や、他県の社協、他団体の方と最後の記念撮影。

経験のない私達で、社協の方にはとてもお世話になった。

a0115762_02154575.jpg

 

 














 

帰りは新幹線、バス、飛行機、高速船、車を乗り継いで三重県の津市へ。

窓の外の普通の景色をみて、正直ほっとした。

 

被災地から戻ってきた場合、しばらくは興奮状態になったり、日常と変わらない生活に

反感を持ってしまったり、落ち込んでしまったりするのでクールダウンの期間をとることが

必要なんだそうだ。

たった半月でこの状態なんだから、被災者のストレスは大変なことだとおもう。

a0115762_02160022.jpg

 














 

三重のボラセンで説明会に参加した後、報告などしてやっと終わった。

神戸に帰ってからもしばらく余震だと思って飛び起きたり、楽しそうに買い物をしている人の姿を見ると
ここと、山田町は別の世界のように感じて何とも言えない気持ちがあった。

 

今回はつくづく自分の力不足を感じたけれど、多くを学ぶ事もできた。

ブロブはあくまで、私がボラセンのスタッフを経験した立場から書いているので、被災者の方や

ボランティアの方、他のスタッフ方には違うと感じることろもあるかも知れないです。

a0115762_02161839.jpg

 










にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村ブログランキングに参加してます。ここをクリックするとポイントになるんです!押してね~。 一緒に歩いている歩き人ふみのブログ⇒「歩き人ふみの徒歩世界旅行 日本・台湾編」 タスマニア島に住むフォトグラファーの兄のブログ⇒「タスマニアで生きる人たち」

by ayumiaruki | 2014-03-13 03:17 | Comments(8)
2014年 03月 09日

名ドライバーきったんと家族と徳島観光


【れまで歩いた総距離数】 5,217km
【現在地】北海道 札幌市 実家
【旅の行程】 徳島県 阿南市 フミさん実家にゴール
                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

札幌に帰ると、どうもブログが・・・。

旅中は必死に充電して、フミさんとパソコン争奪戦で更新してたのに。

 

あるときは、公衆トイレでヘッドランプの明かりの下、蚊に刺されながら

あるときは、狭くて蒸し暑い雨の日のテントで、気づけばエアマットに汗がまたっていたりした

 

いつもテーブルと椅子があったらどんなにいいだろうかと思ったものだ。

今はテーブルの上にコーヒーとおやつまであるのにこの通り。

 

フミさんの方は、樹木調査という仕事をしながらも淡々と更新を続けているようだ。

ここが私とは違うところ。

なんでも淡々と続けられるという特質がある。

ちょっと昔「鈍感力」って本があったけど、「淡々力」っていうのどおだろ。

 

私も札幌で次の旅の資金を貯めるべく、アルバイト中。

どんなバイトかはまた後日。

 

 

 

ずっとゴールの日のことを書いていたんだけど、引き続き翌日の出来事もアップするつもりで

写真も選んであった。

すっかりタイミングを逃してしまってブログとしては、これってどうなの?

っていうのは重々承知の上で更新しちゃいます。

 

今回も前半の写真は兄の近藤学です。

 

 

 

 

 

 

 

ゴールの翌朝。

いつも賑やかな児玉家の居間がずい分静かだ。

そっとドアを開けてみると、近藤家メンバーと児玉家メンバーが頭を付き合わせて

床に広げた新聞に見入っていた。

 

この朝から児玉家には親戚や知り合いからの電話が鳴りっぱなしで、フミさんの弟さんも

甥っ子達も学校の先生や職場の同僚から「あの児玉っておまえん家か?」って質問攻め

だったそうだ。

保守的といわれている徳島県、徳島新聞の県内普及率は87%と全国でも一位なのだ。

家族の理解がないと続けられない。

 

a0115762_00590163.jpg

 

 

 

 

 







宿泊チームが朝早くから手伝ってくれて、会場と家の片付け掃除がひとまず終わった。

母と兄が帰るのは翌日だ。

私の家族とも仲の良い幼なじみのきったんが、せっかくだからレンタカーで徳島観光してあげようと

言ってくれていた。

徳島に来てくれたことのあるきったんは、一度行った場所なんだけど今日はドライバーに徹して

くれたのだ。

フミさん楽しんでる?近藤家のテンションについてきてね~。


a0115762_00591203.jpg
 

 

 

 









 

向かった場所は、椿泊(つばきどまり)という港町で、一度車で入ると後戻りは出来ない

路地のような道を進むのだ。

a0115762_00592545.jpg
 

 

 

 

 

 









 

最初は3mくらいだった道幅が進めば進むほど狭くなり2m程になる。

 

a0115762_00593869.jpg

 

 

 

 

 

 






 

ここはドライバーきったんの腕の見せどころ。

運転がうまいのは知ってたけど、ここまでとは知らなかった。

車との余裕は、両方5Cmくらい、絶妙なタイミングでハンドルを切るきったん。

その度に、全員拍手喝采で盛り上がる。

a0115762_00595263.jpg
 

 

 

 

 

 







 

a0115762_01000720.jpg

 

 

 

 

 








兄妹で同じだよね~っていうところがたくさんあるんだけど、洗濯物の写真を撮ってしまうという

ところも同じなんだよなあ。

髪が水で濡れたり、ベタベタしたテーブルが苦手とか。

 

a0115762_01002989.jpg

 

 

 








 

よくやった、きったん。

お~~~い!フミさ~ん参加してる~?

a0115762_01005444.jpg
 

 

 







 

お昼はうどん。

四国といえばうどんでしょう。


a0115762_01010640.jpg
 

 

 

 

 

次は上勝町へ。


a0115762_01012213.jpg
 

 

 







 

上勝と言えば棚田。

きったん今度は狭くて急な坂道の運転だ。

車に乗っていると足の下はすぐに崖、嘘でしょってくらい急な道を登って行く。

どうしてこんな場所に?っていうところに家が建っていたりして驚くばかりだ。

 

a0115762_01013819.jpg

 

 

 

 








実はここもきったんは来ているんだけど、母と兄の為に運転してくれたのだ。

ありがとねーーー。


a0115762_01015377.jpg
 

 

 









そんなこんなでもう夕暮れ。

喉がかれるくらい騒いだ私達。


a0115762_01020556.jpg
 

 

 









 

フミさんも私も徳島の美味しいお店情報みたいなの全然しらなくって、お腹ペコペコだし

時間もないしということで、食べ放題の焼肉店に入ったんだけど結構美味しかった。

みんな寝不足と異動と、今日一日騒ぎ過ぎたのとで疲れてはいるんだけど

家族と親友とパートナーの時間が持てたのは、私にとって嬉しいことだった。

 

a0115762_01021967.jpg

 

 

 








デザートに目がない親子の図。


a0115762_01023805.jpg
 

 

 

 








 


a0115762_01025590.jpg
 

 

 

 








児玉家に帰ってからも、兄には急いで使いたい写真の編集などなどしてもらって、その写真がまた

おっかしくって笑い転げていたら、フミさんのお母さんも覗きに来てまた一緒に笑って

なんてことしてたら寝たのは深夜。

 

仲良く眠る、フミさんと兄の図。


a0115762_01031184.jpg
 

 










 

それはちょっと仲良すぎるの図。


a0115762_01040786.jpg
 

 







 


翌朝台所に立つ、あゆみ母とフミ母の図。


a0115762_01042138.jpg
 

 









 

トイレから出てきた私と、フミ甥っ子高校生の図。

甥っ子は私が初めて児玉家を訪ねたときはまだ小学生で、お風呂からスッポンポンで

出て来たりして可愛かったんだよなあ。


a0115762_01043695.jpg
 

 

 








 

バス停まで兄を見送る。

(フミさんスマホにて撮影)


a0115762_01050988.jpg
 

 

 

 







 

母のビックリ作戦で涙したきったんは、ここでも涙。

(フミさんスマホにて撮影)


a0115762_01052918.jpg
 

 

 







 

最後は楽しく

ということで、「恋するフォーチュンクッキー」のダンスで見送る。


a0115762_01054848.jpg
 

 

 







 

振り付けがバッチリだぞ。

ケーブルテレビ阿南の広浦さんが、何度も何度も躍らせてくれたおかげか?


a0115762_01060345.jpg
 

 










 

ばいば~~い。


a0115762_01061779.jpg
 

 

 









 

母も空港まで見送って、やっとここからきったんの観光だ。

きったんの観光と言っても、運転は引き続ききったんなんだけど・・・。

 

船から見る渦潮は私も一度体験してみたかった。

この日は満月だったかな?渦が大きいらしくって恐ろしいくらいだった。


a0115762_01063578.jpg
 

 








 

船のエンジンが切れると渦に引き込まれてしまうくらいの力があるそうだ。


a0115762_01065613.jpg
 

 








 

翌日はきったんも東京に帰ってしまい、その翌日は児玉家の親戚にご挨拶まわり

夜は柳沢さんが主催してくれた私達の祝賀会。

ゴールと結婚の祝賀会ということで、美味しい料理や、ケーキカットなどなど用意してくれいた。


a0115762_01071238.jpg
 

 











 

ブティックに泊めてくれた井上さんや、樫原先生などなど徳島で面白い仕事をしている

大人の集まりだ。


a0115762_01072809.jpg
 

 

 










その翌日は、沖縄から生まれて初めての飛行機に乗って来てくれた小川君と

ガールフレンドのまりさんが出発。

遠くから来てくれたのに、泊まっている間ほったらかしで何も出来なかったのが本当に
申し訳けなかった。

a0115762_01075475.jpg


 










 

私はこの日も、どうしても行けなくてフミさんが二人を駅まで送る途中で海岸にも一緒に

行けたようで、少しだけほっとした。

私達が小川君とまりさんに会ったときは、まだ付き合って間もない頃だったようで、二人のまわりには

ハートマークがふわふわと浮かんで見えるくらいラブラブなカップルだったんだけど

この時も相変わらずいや、もっともっとラブラブな二人だった。

二人がどれだけ節約した生活をしているのか、よくよく分かっているだけに来てくれたのはとても嬉しい。

a0115762_01081578.jpg



 

 









 

そしてその翌日は、最後のラジオ出演。

柳沢さんと一緒に歩いた時に、寄らせてもらった「林刃物店」の林さんの番組だ。

a0115762_01083401.jpg
 

 

 








20日の夜10時に番組が終わって、なんだか一気に気が抜けた。


a0115762_01085208.jpg



札幌での生活はまた、ぼちぼちと書いてきます。
イヤ、ぼちぼちじゃいかんのだ。

 

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村ブログランキングに参加してます。ここをクリックするとポイントになるんです!押してね~。
一緒に歩いている歩き人ふみのブログ⇒
「歩き人ふみの徒歩世界旅行 日本・台湾編」
タスマニア島に住むフォトグラファーの兄のブログ⇒「タスマニアで生きる人たち」



by ayumiaruki | 2014-03-09 01:44 | Comments(8)