ただ歩いてゆく旅

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2024年 03月 16日

SNS断ち



【Total distance 】 10,439㎞

【歩いた距離】
あゆみ   10,439km  
ふみさん  27,542km

【歩いた国】
日本、台湾縦断、キューバ横断、カナダ横断、グランドキャニオン、ペルーワスカラン国立公園など

珍しく夫婦で札幌に住みながら、次の旅の資金を貯めている最中。
2019年秋に日本に帰国してからヨガとボディワークに目覚め、ただ今修行中。
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SNSから離れる。
ということを、ここ2か月、実験的にやっている。

始めた理由は色々なんだけど、これって本当に必要なのか?って思うことがよくあった。
そういう疑いの目で気にしてみると、1日トータルしたら、かなりの時間をスマホに費やしていることに気づく。

そのわり、内容はたいして覚えていない。
おそらく、ただ文字をなぞっているだけで、自分で考えたり想像したりしていなんだろうな。
本を読むときは、メモしたり、思い出したり、考えたりして自分から取りに行くような読み方をしているから、それと比べると、読んでいるようで読んでいないのが凄く分かる。

それで意識的にSNSを見ないようにしてみた。
無意識にスマホを手にするのを無くす。
それだけでも、精神的にスッキリする。

とくに個人的な活動をしているわけでもない私には、実は必要なかったのかもしれない。
全く見ないワケでもないから、困ったこともなく、友人知人の投稿に『いいね』出来なくても、友人は友人のままだということも分かった。(笑)


そんなことを知っているのかどうなのか、SNSの方でも、あの手この手で私に戻ってくるよう誘いの罠を仕掛けて来る。
しかも彼らは、私が映画と動画には抗えないという弱点を知っているのだ。

そう言えば、この俳優好きだったなあ
このセリフ、今聞いたら深い~
Netflixでこれから公開するの?

気になる動画をチラ見させるんだよね~
まんまと誘いに引っかかった敗北感と罪悪感。
自分のツボを完全に把握されてるから、怖いよね。


先日ついつい見てしまった動画は、アカデミー賞で助演男優賞を受賞した、ロバート・ダウニーJr.

差別とは思わなかったけれど、あの失礼な態度は、不快な気持ちになってしまう。
ロバートダウニーは気づいていないんだろうけど、ちょっとした気の緩みで一瞬の行動が、人の本質を表してしまうときがあるのだろうか。
その後の念願の受賞に対する、自分はクールだといわんばかりの態度が、かえってダサいんだな。
俳優としては素晴らしい才能があるのに、それが残念。


そんな私も結局SNSの策略にハマり、残念なんだけどね。






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# by ayumiaruki | 2024-03-16 00:34
2024年 03月 09日

おかずのクッキング



【Total distance 】 10,439㎞

【歩いた距離】
あゆみ   10,439km  
ふみさん  27,542km

【歩いた国】
日本、台湾縦断、キューバ横断、カナダ横断、グランドキャニオン、ペルーワスカラン国立公園など

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1人暮らしをしていた30年前、休日の朝に見ていたテレビ場番組
渡辺篤史さんの『建物探訪』と、土井善晴さんの『おかずのクッキング』



おかずのクッキングは、料理が好きな分けでもないし、作るとしても自分で食べるくらいなのに、なぜか毎週見てしまう番組だった。
料理番組なんて山ほどあるのに、わりとオーソドックスな和食中心の料理番組の何が面白くて見ていたのか。



先日、土井善晴さんの著書『一汁一菜でよいという提案』を読んで、私がなぜにあの番組を見ていたのか少し分かったような気がした。

一汁一菜でよいという提案は、土井さんの思想であり哲学とも思える本だ。

食べるということは生きること。
本を読むと、自分がどう生きたいのか、どうありたいのか考え直すキッカケになる。
家庭で食べる毎日の食事は、ごはんとみそ汁があれば充分であり、これが日本人が受け継いでいる食事の基本で、実はこれで充分栄養が取れているんだよと伝えている。
ごはんとみそ汁という型だけ決めたら、あとは気負いなくみそ汁に何でも入れましょそんなに美味しくなくっても良いとまで言ってくれる。
優しいのだ。
それよりもっと食べることや料理を作るという日常に意識を向けようと。
家に帰ったら、質素だけどいつものごはんとみそ汁が食べれるということが、日本人としてのアイデンティティを培っているというのは、ともて理解出来る。

日本の食に関する歴史や自然のこと本当に詳しいのだけど、何より土井さんの感性が光る本だ。

私は番組を見ながらどこかにその感性を感じて、心地よいな~って思ったのかなと。

もちろん当時の私は、そんなところを心地よいと思って見ているとは考えてもいない。
感性なんて言葉すら知らなかった可能性もある・・・。

料理のレシピは一つも覚えてないのに、不思議と料理中のアシスタントと土井さんとのやり取りや、何気ない一言をハッキリと覚えているんだよね。

「それもええけど、こうしてみたほら、ほら、全然違うでしょ?お野菜が喜んでますでしょ~」
とかね。

現代人の感覚で、料理をすることが目的のアシスタント女性に、押し付けがましくなく料理はただの作業じゃないんよ~って、こっちの方がええでしょ~って嬉しそうに話す土井さんの記憶が残っているんだな。


あの頃見た番組の何に私が共感していたのか。
いま本を読んで初めて理解するという、面白い現象だった。

人の根底にある伝えたいと思っていることって、こんな風に30年ががりで、伝わることもあるんだな。





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# by ayumiaruki | 2024-03-09 23:54
2024年 03月 02日

天才バカボン



【Total distance 】 10,439㎞

【歩いた距離】
あゆみ   10,439km  
ふみさん  27,542km

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先日、とある場所の待合室で何気なく手に取った小さい本。

そこには、これでもか!というほど
「これでいいのだ」という言葉が出て来る。
ページご出て来るから、200回くらいかな?

天才バカボンのパパのように、何があっても「これでいいのだ」と言ってみよう。
理不尽なことも、嫌いな自分も、むしゃくしゃすることがあっても「これでいいのだ」と、ただ言ってみよう。

というような内容だったのだけど、私が気になったのは冒頭に書かれたいた「バカボン」という言葉は、サンスクリット語でブッダのこと、すなわち自己の意識をあやつる天才のことなんですよ、という話。

へえ~~
天才バカボンは、本当に天才だったんだ。

そしてずっと気になっていた、井上雄彦さんの宮本武蔵を題材にした本『バガボンド』というタイトルが、なぜ宮本武蔵なのにバガボンドなのか問題と関係あるかな?

なんとなく気になっていたので調べてみる。

すると、バガボンドは英語では『vagabonnd』
『放浪者』とか『放浪する』という意味。
井上雄彦さんの『バガボンド』はこれと関係なくはなさそうだ。
『天才バカボン』もひょっとしたら『バガボンド』と関係あるかな?
バカボンパパは、ちょっと寅さんちっくな哀愁があるし。

と思って調べたら
『天才バカボン』の由来は、馬鹿なボンボン、vagabonnd、天才をかけ合わせたと、赤塚不二夫先生が話していたそうだ。

天才バカボンを見ていた、ギリギリ世代の私だが、本の中で書いてある「これでいいのだ」は確かに今の時代にこそ求められる言葉だと思う。

考え過ぎたら「これでいいのだ」
恋人にふられても「これでいいのだ」
失業しても「これでいいのだ」

諦めるでもなく、受け止めるでもなく、自分に言い聞かすでもなく
「これでいいのだ」と唱える。


ただし、これは真面目に言ってはマントラの効果が半減するし、時代劇のように語尾強めなのもちょっと違う。
バカボンのパパのように、言うのが理想だ。

どんな風にと言われると語彙力の足りない私には難しいのだが

しっかりと言い切るが、最後の『だ』は『だ~』とちょっとだけ伸ばし気味。
風に吹かれているような
あっけらかんとして
でも明日も頑張ろーーー

みたいな感じかな?





失業して、あっけらかんと「これでいいのだ」言えたら天才ですわ。
と思ったアナタもポチっとしていいのだ。

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# by ayumiaruki | 2024-03-02 21:40
2024年 02月 22日

運命は決まっている?



【Total distance 】 10,439㎞

【歩いた距離】
あゆみ   10,439km  
ふみさん  27,542km

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あなたは自分の運命は、すでに決まっていると思う?

自分には見えないだけで、運命のレールが確かにあり、どんなに努力しても、善人になっても、レールの先が同じなら、人生ってそんなもんかと投げやりになるだろうか。
それでも努力する意味を見いだせるだろうか。

良き人間で皆に愛され、必要とされ、愛する子供達もいるのに、ある国、ある民族に生まれたというだけで無残に殺された人達。
彼らはそういう運命だったと言ってしまって良いのだろうか。


じゃあ運命のレールがあったとしても、本人の意思や資質、肉体、思考とそれからちょっとの偶然で運命が、路線変更して変わって行く?

それとも、そんなことを考えたこともない?

私は無かった。
これっぽちも。

そのくせ家族の中で一番健康だった父が60代で亡くなったとき、しばらくしてから、これは父の運命だったのかもなんて思った。

運命って何なんだろう。
しょせん、人間が作ったつくりごと?



前にブログに書いた『武』の著者で武道家の甲野善紀先生が、あらゆる職業の中で武道家の道を選んだキッカケをきかれ、こう話していた。
「自分の人生に答えを見つけたかった」と。

甲野先生は若いころに
「人間の運命は決まっているのだろうか」
という問いにすっかりとらわれ、既存の宗教から新興宗教、民間の色々な健康法から能力開発などその手のものを追いかけ続けた。

新興宗教は「運命は決まっているけれど、努力で変えられる」と言うけれど「じゃあなぜ努力するのか」
「努力して変えられるなら世話はないだろう」
運命を努力で変えられるという教えが、うさん臭く感じた。

そこで河野さんは、まず仮説として
「運命はすべて決まっている」と考えた。そうでなければ不公平だと。

そうなると、自分の意思や判断が無意味に感じられる。
そこで出会ったのが禅の本『無門関』の「本当に修行して、悟った人は人生の因果の法則を超えられるのか」というテーマ。

ちなみに、甲野先生がこのテーマに出会ったのは、21歳の時。
私がクラブで踊りまくっていた歳だ。

甲野先生はこれについて考え、当時良く読んでいたアインシュタインなどの物理学の本を読むなかで、物理学的原理ですら矛盾があるということを知った。
物理学ですら矛盾があるのならば「運命は決まっていると同時に自由だ」という二重性(矛盾)こそが真実に違いないと確信した。

21歳で!!

それで
「矛盾を矛盾のまま、矛盾なく取り扱う」
というのが甲野先生の武術の定義となったそうだ。

う~~ん、定義が難しい。

運命についても、この定義についても私の脳みそでは分からないけれど「分からないを分からないまま、受け取る」こと「いつか知りたい」という純粋な探求心が、甲野先生の努力というより生きる原動力になるのかなあとか思った。




一休さんのとんち
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# by ayumiaruki | 2024-02-22 18:53
2024年 02月 16日

座禅とボディーワークの共通点



【Total distance 】 10,439㎞

【歩いた距離】
あゆみ   10,439km  
ふみさん  27,542km

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今月の指定図書の中に、只管打座の座禅の本があった。
ページ数も500とそこそこの量だし、瞑想と座禅の違いも分かっていないし、瞑想にも結局ハマらなかった私としては、気が重くなる指定図書だった。

しかし読んでみると、ボディワーク、東洋医学などで学んだ知識や心持ちが、座禅と共通するところがあまりにも多くて驚いた。

著者自身も座禅を始めてから、その奥深さを味わう為に、武術、野口体操、ヨガ、気功、アレクサンダーテクニーク、クラニオセイクラルセラピーまで学んでいるのだが、そうなるとやはり、体は全て繋がっているし、意識してそうするのではなく、そうなるのを待つことの大切さ、身体感覚、床と重力の関係、プライマリーコントロール、上虚下実、丹田呼吸というワードが度々出てきて、もうこれボディーワークじゃんっ!!って何度も思った。

そもそも楽に立つ、座るという、シンプルな姿勢こそ奥深く難しいものはない。
私もプライベートレッスンで『ただ立って揺れる』というのをしたことがあるけど、2時間があっという間で、分かったような分からないような、ただ、先は途方もなく長いと感じたのを覚えている。


本では、座禅そのものの仕方につては、最後に少し出るだけで、座る為の体を知ることについて、多くの時間を使っている。
私としては、それがとてもリアリティがあって、著者もきっと自分の思うような座禅を探求するなかで、体について多くのことを学び、それが必要だったんだろうなと思った。

その中で何度も語られるのは、座禅で何かを得ようとしないこと。
求めては得られないし、何かを期待するものではなく、どうにかなろうとして座禅すると、それは座禅ではなくなるということ。

これを読んで確かに
「私はもっと幸せになりたい」と日々願っている人が幸せになれのかな?
それって何か違うんじゃないか・・・。

と思っていた疑問が少し納得出来る

人間が、自分の意識で何か出来ることなど知れている。
意識出来ることは氷山の一角で、その下には巨大な無意識がどっしりとある。


寝れないときに、寝よう寝ようと思っても眠れなくなるだけなのと関係あるかな?


けれども
期待もせず、得ようともせず、毎日ただ30分座る時間を作るのは、現実的に難しいと思うかも知れない。

私は思った。

だけど、座禅はその座っている時間だけが座禅なんじゃなく、その30分をなんとか捻出する時間からもう座禅なんだというようなことを、書いていて、ああ確かに、体のことに関心を持ち、学ぶ為に時間とお金を作り、その中で興味深い人と出会うこともなのかなーと。

座禅は悟りを得る為に座るとばかり思っていたけど、本を読む限りではそうは言っていなかった。

以前よんだ『弓と禅』のオイゲンさんが、師匠に言われた言葉
「的に当てようとしてはいけない、それが来るのを待つ」というあの弓道を思い出す。

自分から積極的につかみに行くのではなく、それが来るのを待つ。

これねぇ~~施術もそうなんだよねえ~~~~。
相手を良くしようと意識した瞬間に、全てダメになってしまうアレ。
しかし、意識しない練習をしても、意識しないにはならない。

施術の先生は常に、楽な姿勢、心地よい呼吸、集中し過ぎない目、柔らかい手を心がけることを何度も言う。

なにこれ座禅と同じじゃんっ!!
(座禅も姿勢や呼吸はもちろん、手も柔らかい。手の真ん中で呼吸するイメージ。)

確かに、楽な姿勢や呼吸を心がけることで、相手をどうこうしようという過剰な意識が出なくなった。

施術でいうところの、姿勢、呼吸、目、柔らかい手は、座禅の型と同じような位置づけなのかも知れない。
確かに型は必要だ。

ってことは、今日から座禅するべしってこと???
オーーマイゴッド!!




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# by ayumiaruki | 2024-02-16 21:46