ただ歩いてゆく旅

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2019年 05月 31日

仕事、お手伝い、ボランティア、経験してみないと分からない

【カナダを歩いた距離】 4,081km
【これまで歩いた総距離数】  10,071km

On the Trek across Canada on foot Stage3

Calgary 👣👣 Thunder Bay (到着済)


【Distance in Canada】 4,081㎞
【Total distance 】 10,071㎞

【I am now in】
Japan Hokkaido Sapporo

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前回は仕事が決まったというブログを書いたけど、1カ月しか働けないのに、アポも取らずに行って
その日の夕方には仕事が決まるなんて、ありがたいことだと思う。
しかも得意な仕事だなんて、今までの私には考えられないことだ。

何せ得意な仕事がなかったんだから、謙遜じゃなくて(謙遜しないし)。

仕事も含めて経験するという事は、ただするのと、興味を持ってするのとじゃ、全然違うと思う。
今日は、色々な経験という視点でまとめてみた。





【仕事】
2011年の夏、ゴルフトーナメント会場でのアルバイト。

バイト全員がホテルに宿泊して、トータル5日間くらいの仕事だった。
勿論ゴルフ場だから、ずっと外だし、トーナメントの裏側も見れて面白かった。

中でも石川遼選手は、スタイルも身のこなしも上品で、ザ・スターのオーラを放っていた。
ファンはもちろん、私達アルバイトにまで挨拶したりと、とても礼儀正しいけど
彼自身がそうしたくてしているんじゃなく、求められる姿に応えているようにも見えて
ちょっと窮屈そう、大物は大変だなあと感じた。

松山選手の、闘志みなぎるギラギラした目は印象的で、かえって自然に思えた。

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この建物が中継本部。
ここからメディアに最新のスコアを流したりする。
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フミさんと、二人一組で依頼された、船舶調査の仕事。
30カ所くらいの船着き場に行き、そこに停泊している船の番号を書き留め、一隻づつ写真を撮る
という仕事。

こんな景色のいい場所に、お弁当持って、歩いて、写真撮って、、、。
普段の旅と一緒じゃないか?

いい仕事だったなあ。

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日本縦断の始めの頃。有馬温泉で仲居。
旅館で一番忙しい、年末からスタートした仕事だった。
17年間、椅子に座ったままの経理の仕事しかしたことがなかったから、何もかも初めて尽くしで、てんぱってしまい。

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一週間で倒れて入院。
仕事が出来るとか、出来ない以前の問題だ。

もう2年くらい日本縦断していた頃だけど、体力はまだ今の半分くらいしかない。
仲居の最後は腰も痛めて、整骨院へ行きながら仕事してた。

旅館のマネージャーが、病院まで連れて行ってくれたり
仲居歴の長いスタッフにも、色々教えてもらって助けられた。

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スタッフに助けられたと言えば
3年前にしていた札幌のカフェバイトは、若いスタッフの中で一人40代後半、、、。
なのに本当にみんな楽しいメンバーで、いつもサポートしてくれたっけ。

小さい頃から、団体行動とかチームプレーが苦手だったけど、誰よりもチームに助けられているというね。

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カフェバイト中は、自転車で転んで指の骨折ったり、調理場で一斗缶を持ち上げたときに手を滑らせ
ギザギザの蓋で、手をザックリ切ったりと色々やらかした。

この時の傷は深くて、シンクも血だらけ、手にぐるぐる巻いたタオルも、すぐに真っ赤に染まるから
スタッフの子たちは同様してしまった。

救急病院に行ったら、最初はぬるい水道水で、自分で傷口の中まで洗うよう言われる。
痛いよりも、開いた魚の内臓を洗っているみたいで、中はこんな風なんだ~肉は白いんだなあ、、、
トレッキング中にナイフで切ったら、こうしたら良いのかと、意外に冷静だった。

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抜糸までバイトは休まなければならず、その後も傷口がすっかり治るまで、調理や水場の仕事は他のスタッフがしてくれて
ホントに良いメンバーに助けられた。

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イベント会場、真冬のポスティング、ラーメン屋、年末年始の郵便物配送データ入力
色々やったな。

フミさんは、旅中に出会った酒蔵の若い杜氏の下で、一冬酒造りの仕事もした。
右側真ん中がフミさん。

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【お手伝い】

仕事じゃなく、旅先でお世話になった家でのお手伝いも色々経験出来た。
みかんの収穫は、北海道人には経験出来ないことだ。

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このみかん収穫は、私達が歩いている時に通りがかった男性が
「日本を歩いてるのか?それなら、ちょっと家で収穫を手伝ってみないか?」
と声を掛けてくれて、そのまま彼の軽トラに荷物も載せて、家に行くことになったのだ。

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京丹後では枝豆の収穫もしたな。
畑や農作物は興味があるから、色々お手伝いできるのは嬉しい。

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あと、使わなくなった家とか、倉庫の片づけも意外と多い。
目に見えて結果が出るから、掃除と片づけは大好き。

一軒家に一人で住んでいたOL時代の、私の一番の喜びは
休日は家から出かけず、一人でピカピカの家を、さらにピカピカに掃除することだった・・・。

オーーーマイゴット!!病んでる~~~~。


写真は、静岡県の友人が経営している会社の寮。


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寮の人が夜逃げしてしまったという事で、片づけのお手伝い。

これはこれで、オーマイゴット!

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札幌の友人、ナラッチが仕事を辞めて、ゲストハウスをすることになったと聞いた時は、話を聞いてる私までワクワク。
普通じゃないナラッチなら、変わったことするんだろうなあと思ったけど
すすきのにあった、古い古い旅館を自分でリフォーム工事するっていうから、何度か手伝いに行った。

今は、こんな頃があったとは思えないような、ゲストハウスになってるし
いつも面白い人が集まってくるナラッチのゲストハウス。Sappolodge(サッポロッジ)

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【東日本大震災、ボランティアセンター運営のボランティア】

当時の日本全国の人と同じく、自分も何かしなければと思った。
スキルの無い人が被災地に行っても迷惑なだけとは聞いていたけど、私達の経験を活かせることが、何かあるんじゃないだろうか。
そしていつも旅先で、多くの人にお世話になっている私達だからこそ、という気持ちもある。

三重県で出会った、ボランティアのスペシャリストでもある、議員の端無(はなし)さんに相談して、
彼の采配で三重県の団体の一員として被災地に行くことになった。

話が決まった翌日には三重県へ行き、団体の代表と数分の打ち合わせ後、初対面の2名と合流して
そのまま4人が車で岩手県に行った。

とにかくスピードが大事なんだと感じた。




私達が到着したのは、震災後一か月も経たないくらい。
水はまだしばらく出なかったし、下水道もダメでトイレは外の簡易トイレ、でもこの日から電気が通ったのは助かった。

2週間、水無しの自炊を想定して水や食料なども持参。(実際は自炊する時間なんて無かった)
寝たのは、体育館の道場。まだ人はまばら。
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私達が担当したのは、『ボランティアセンター』通称ボラセン、に集まったボランティアの人と
ボランティアを必要としている被災者とのマッチング。

毎日送られてくる、必要なボランティア内容(ニーズ)に合わせて、誰に何処に行ってもらうかを決める(マッチング)


まだボラセン立ち上げ前の、この段階でボランティアに来ている人は、全員テント泊。
皆、何かしたい!という熱い気持ちと、覚悟があった。
仕事している場合じゃないと、長期休暇を取って来た人、自分のラーメン屋を閉めて来た人などなど。

けれど、そんなボランティア受け入れるボラセンの方が、人も物資も足りなく、運営の流れも決まっていない状況だった。

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「何でこんな時にボランティア保険なんか入る必要あるんだよっ!おかしじゃねーーか!」
と2時間怒鳴り散らす人がいたり。

初めて被災地に行って作業して来た人は興奮気味で、どんなに酷い状況か、被災者がどんなに苦労しているか
話が止まらない。

そいう話を聞いて、報告するのも私達の担当だった。

ボランティアに来た人達の不満は募り、ボランティア活動する為の最低限のルールも理解されなくなってきて暴走しはじめた。


おかしなルールもたくさんあった。
遠くから、自分の油圧ショベル車を運転して来てくれた年配の男性。
ガソリンも自前で運んで来てくれている。完璧だ。
けれど、油圧ショベルを使いたい被災者はたくさんいるのに、今の日本のルールではボランティアの手配が出来ないと分かった。
彼にそれを伝えるのが、本当に悔しく辛かった。

毎晩何度かある余震と、その都度外に出る非難で、全員が寝不足。
特殊な環境下で、私達運営側も段々と不満がつのり、したいことが出来ないフラストレーションも溜まる。





2週間、体育館から一歩も出る時間すらなくて、私も現場に行って自分の手で作業したい、という気持ちがあったけれど
今は運営側でしか見えない部分もあったし、良かったと思ってる。

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貴重な物資も次々と届くのに、仕分けしたり、配給する人が足りず、場所がなくなるばかりだった。
この場所で寝たい人はたくさんいるのに・・・。
欲しい人だって、たくさんいるのに・・・。

こういう問題のシステム化は日本企業の得意とするところだから、次の震災には改善されていると良いけど。

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写真は机や事務用品もそろって、かなり落ち着いた頃。

噂に聞いていた通り、2週間の主食はヤマザキのパンと、カップラーメンだった。
よりによって、この2つなんだけど、私達はたった2週間。
被災者のことを考えると文句は言えない。

でもこの経験で思ったこと「被災者のことを考えると」を言ったら、何も言えなくなってしまう。
そいういう空気が一番、変化も進歩も生まれない。

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ある建設会社の社長さんは、よっしゃ皆で行くぞ!って、社員まるごと8人くらいが、1週間ボランティアに来てくれた。
仕事は早いし、特殊な作業や、素人は危険で出来ないことは、まずこの建設会社の人に相談してやってもらった。
心意気が良くて、とっても助かった。

色々な団体が出入りする中で、団体同士での派閥があったり、利権もあったりを見ると、心底頭に来ることもあった。
でも感動もあったり、涙したり、いつも冷静にと呪文のように言い聞かせていたけど、感情の波がおかしくなってた。

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自分も家族も被災しているのに、ほとんど寝ないで家にも帰らず仕事していた、地元の社協の人には、頭が下がるばかりだった。

今日のブログは、色々経験したなあくらいで、こんな事書く予定じゃなかったんだけど、経験という視点では
このボランティアの経験なしには語れない。


情報はテレビやネットで、何でも手に入るけど、実際に経験しないと言えないことや、分からないことも
あるってことも忘れないようにしたい。

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今回はボランティアの内容じゃなく、あくまで経験という視点で書いてみました。
内容について書き始めると終わらないので・・・。



今回のブログは、話があっちこっちに飛んでますねえ。
と思った人は、私もそう思っているので安心してポチッとね。

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by ayumiaruki | 2019-05-31 18:01 | 旅日記 | Comments(0)


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