ただ歩いてゆく旅

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2018年 02月 13日

そしてインカ帝国は滅亡した

【これまで歩いた総距離数】 7,885km
【現在地】 ペルー   クスコ
【旅の行程】
カナダ横断を一時中断して南米でバックパック旅
 2018年5月にカルガリーから旅再開予定





引き続き、私が調べたインカ帝国の歴史

前に土産屋さんでパフォーマンスしていた人だけど、なんとなく物悲しい雰囲気だった。
今なら良く分かる。

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【フランシスコ・ピサロ】
先ずはこの男の話しから。
スペインのトルヒージョで、軍人の父と召使いの母の元に生まれたフランシスコ・ピサロ。

教育されず、文字も知らないまま育ったこの男と、たった180人の私兵部隊によって、石材建築、農耕、天文などヨーロッパより遥かに高度な技術を持ち、1,600万人もいたインカ帝国は滅ぼされた。

新大陸に渡ったスペイン人は『エル・ドラード』アンデスのどこかに黄金でつくられた都市があるという伝説に取り憑かれていた。
当時スペインでは、コンキスタドール(征服者)活動が盛んで、彼らは私兵を集めてアメリカ大陸を探索し、文明を破壊し、征服して金銀を略奪した。

ピサロもスペイン王室から「権利証」を手に入れ征服行に乗り出した。
権利証とは、征服の権利や搾取の特権だ。彼は王室から貴族の位までもらい、故郷で120名の荒くれ男を集めアンデスへ向かった。
国から資金や兵隊の提供はないが、黄金を略奪した暁には、一部をスペイン王に渡して、残りは自分達の物に出来るのだ。

フランシスコ・ピサロ

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ピサロ率いる230名の私兵と、37頭の馬は、3艘の船に分かれて出航した。
1回目はひどい逆風で前にも進めず、2回目は上陸はしたもののインディヘナの襲撃にあったり、ワニに襲われて多くの隊員が死んだ。
3度目の挑戦でようやくインカ帝国内部に潜入したのは180名。

この180名が歴史に残る大虐殺と情け容赦のない略奪をおこない、インカ帝国を滅亡に追い込む。

その当時、インカ帝国の王が急死して、母親の違う2人の息子、ワスカルとアタワルパの間で王位継承争いがあり、インカ帝国は揺れていた。

アタワルパは大部隊でクスコの城へ行くときに、ピサロの話しを耳にする。
「銀の足をした巨大な獣に威風堂々と跨り、黒や赤みがかった髭を生やしている」と。
巨大な獣は馬のこと、スペイン人が来るまでアメリカ大陸に馬は居なかった。

ピサロはそんな自分の容姿と、インカの伝説を利用してアタワルパの支持をとりつける。
インカの創造神『ビラコチャ』は白い肌と黒い髪の持ち主で巨人であったとされていて、それを白人で体の大きい自分に当てはめ、自身ビラコチャが支持するのはアタワルパだ。という噂を撒いたのだ。
今の時代なら、そんな噂ごときと思うが、当時のピサロの軍の持っていた鉄砲はインカには無いもで、インカ皇帝ワスカル軍では、ピサロをビラコチャだと信じてしまい、軍の士気は低下し、アタワルパの軍に破れ、アタワルパがインカ皇帝位につく。

ワスカル

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はじめ、王になったアタワルパが数万の軍勢を率いて、180人のピサロ軍と対峙したとき、そのあまりの人数の差に、戦後スペイン人達の処遇まで考えるほど余裕だったという。
半分は神の生贄、残りの半分は去勢(男性器を切断)して王宮で使役させる予定だった。


【カハマルカの戦い】
そしてピサロは、アタワルパに、カハマルカ広場での会見を申し込んだ。
しかし会見は最初から見せかけに過ぎず、ピサロは銃を構えた兵士を広場の周辺に潜ませていた。
素直な現地先住民を出し抜くなど、ピサロには容易いことだ。

聖書を持った従軍司祭が通訳をして、アタワルパに聖書を手渡す(だから、インカ帝国には文字がないんだって!)王はそれを地面に投げ捨て、キリスト教徒がこれまでインディヘナに対して行なった非道な振る舞いを糾弾した。

ピサロはそれを攻撃合図に、隠れていた私兵が一気に襲いかかった。
鉄砲、ホウガン、甲冑に鉄の剣を持った百戦錬磨の私兵に、インカ兵の石や骨で作った武器など歯が立つはずもなく、30分もたたないうちに広場にいた非武装のインディオ市民を含む4000人のうち2000人を虐殺したという。

スペイン人たちは体力のつづくかぎり、ただ剣を振るえばよかったのだ。

こうしてピサロは、わずかの手勢で4万ともいうアタワルパの軍を打ち破った。
捕らえられたアタワルパ王は彼らの目的が財宝だと知っていたから、膨大な金銀を渡す約束をする。
すぐにインカ帝国各地から続々と財宝が送られてきた。
ピサロはウハウハだっただろう。
金銀の一部をスペインの王にも送ったが、その重さ3トン以上と、もう訳の分からない量だ。
(しかし財政難だったスペイン王室は、この貴重な工芸品をすべて溶かして貨幣にしてしまった。)

アタワルパは、財宝だけでなく彼の妹もピサロに差し出した。
ピサロは皇女の妹をキリスト教徒に改宗させ「おてんばさん」と呼んで、彼女をたいそう可愛がっていたが、後に別の愛人が出来て、邪魔になったおてんばさんは自分の部下と結婚させる。

改宗名、イネス・ワイラス・ユパンキ

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財宝を受け取ったピサロは、インカ軍の反乱を恐れ、必要のなくなったアタワルパ王を裁判にかけ、スペイン国王に対する反逆罪と、兄弟殺しの罪で死罪にすることにした。
スペインでは異教徒の処刑は火刑と定められていたが、インカの王は代々香を塗ってミイラにする伝統的な遺骸信仰があって、アタワルパは自分の遺骸が焼かれることだけは避けたかった。
その為にカトリックに改宗しフアンという洗礼名を受けて絞首刑になったが、カハマルカの教会に埋葬された遺骸は数日後に消えてしまった。

アタワルパ

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ピサロはアタワルパ王の腹違いの弟にインカの王位を継がせた。
その最後のインカ王トゥパク・アマルも結局は捕らえられ、中央広場で斬首された。
処刑時、トゥパク・アマルが処刑台に登り、刑執行人が刀を取り出した瞬間、インカの全群衆が悲しみの叫び声を挙げ涙を流した。
トゥパク・アマルは右手をさっと挙げて人びとを静まらせた。
その毅然とした態度に、群衆は一瞬で静まりかえった。
それを見るとトゥパク・アマルは死を目前にしたものとは思えない態度で群衆に対しケチュア語で話し始めたと伝えられている。
1996年末に起きた、ペルーの日本大使館公邸人質事件で、ゲリラ集団が名乗ったのもトゥパク・アマルだ。

トゥパク・アマル

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【ピサロの暴虐】
スペイン人達はインカ人を人間とはみなしておらず、アタワルパの死後も暴虐の限りをつくした。
インカの人々の食料や備蓄保存食も全て奪い取ってから殺戮。
拷問、強姦。
後にピサロと荒くれ私兵の行為を告発した者も居たが少数で、逆に彼らが批判された。

「スパイスの王様」と呼ばれるシナモンが多く採れる国があると聞いたピサロは完全武装のスペイン兵340人、食料の豚2,000頭、荷物担ぎ、非常食のラマ2,000頭、合図で人間の喉を食いちぎる訓練済みの犬2,000匹、荷物担ぎのインディオを4,000人と言う大部隊でシナモンの国探索に出発し、苦闘の末到着するが、そこにはシナモンに似ている肉桂があるだけでヨーロッパで珍重されるシナモンはなかった。
怒ったピサロは連れて来た2,000頭の犬をけしかけインディヘナたちを殺し、それでも生き残ったものは火あぶりにしたと言う。

ピサロはインカ帝国を滅亡に追い込んだ後にも南米大陸の探索の手を広げたが、ピサロと同じように南米大陸に略奪目的で進出してくるヨーロッパ人は増える一方で、ヨーロッパ人同士の争いも起こるようになった。

ピサロ自身も仲間だったアルマグロと争い、処刑したものの、スペイン本国から「アタワルパを無罪の罪で処刑した」罪で死刑を宣告され、アルマグロの遺児一派にペルーで暗殺されてしまう。
埋葬されなかったピサロの遺体はミイラとして現在も残されているそうだ。
何故、誰がキリスト教徒のピサロをミイラにしたんたろう?

そんなピサロも、スペインから見れば「莫大な財宝を国に提供し続けた英雄」ユーロ導入までスペインで発行されていた紙幣に肖像が使用されていたほどだ。

南米では、インディヘナはもちろん、混血であるメスティーソの多くも自らのルーツをインカ人と考え、ピサロは祖先が築いたインカ文明を破壊した人物だ。
リマ建都400周年(リマはピサロがスペインに金銀を送る為に作った都)を記念にピサロの故郷スペインからリマ市に贈られたピサロの騎馬像は市民の反発で撤去された。(当たり前だ!!)
インカ帝国滅亡には、スペイン人が持ち込んだ、天然痘などの病気も大きい。

あんなにも神聖な太陽神殿や、全ての建物を破壊され、王もキリスト教徒に改宗され、結局は殺されて、インカ帝国の人達の悲しみはどれほどだったのだろう。

今はこんなに平和なクスコの町。

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これからも平和であって欲しい。

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クスコのアルマス広場にある像はクスコ王国を作った、パチャクテク。

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インカ帝国調べたら、ずっしり来たーーー。
さて、私もそろそろ儀式を行う時が来た。

『コーヒー解禁の儀式』

そう、退院してからも薬が終わるまでコーヒーやスイーツを我慢していたのだ。
でも朝晩の散歩で、儀式の場所はすでに決まっていた。
サンアンドレス(San Andres)通りの角にあるカフェ ペルラ(Cafe Perla)
カフェアメリカーノ(3ソル)で、セントロから程よく離れていて、コーヒーもマシンでしっかり入れている(のを窓から見ていた)
店の落ち着いた雰囲気がまた完璧だ。
ここなら、一週間ぶりのコーヒーを1人で味わう儀式にピッタリだろう。

一口目、、、、うわぁわわわ〜〜美味し懐かし〜

二口目、、、、おぉ〜〜ズシンと胃に来るね〜

三口目、、、、ううっ苦くて飲めない!嘘でしょ〜。半分しか飲めなかった。

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という事で、コーヒー儀式の後はスイーツ儀式も追加することに、、、
アイスなら良いかな?ここも散歩でチェック済み。
おぉ〜〜しみるねー。(4ソル)太陽の神殿前。

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あっドーナッツの儀式もついでに行っちゃうか!
うま〜い!南米に来てからこんなドーナッツ初めてだ〜。
ミスドに負けてない、あんドーナツみたいなドーナッツは「ドンナス」という商品名だった。

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宿のセニョーラも、いつも自炊してる私達に色々な地元料理を教えてくれて、おすそ分けしてくれた。

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チューニョのチーズ和え

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これも保存食、豆やトウモロコシの味が素朴で優しい。

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私達はフミさんが作ったカレーピラフをおすそ分け。

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テーブルと料理の色は黄金ですが何か?

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さてツアー会社で、マチュピチュ行きの予約もして、ついにマチュピチュだーー。

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今回は教科書みたいだし、内容が重すぎで無理っと思った人も、黄金伝説の話なら私も負けませんという、歴史大好きさんもポチッとね。



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2017年から世界最長の『トランスカナダトレイル』を基本に、夫婦でカナダを徒歩横断していますが、冬は南米でバックパックの旅をして、2018年5月にまた、カルガリーから旅を再開する予定です。


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# by ayumiaruki | 2018-02-13 01:06 | Comments(0)
2018年 02月 08日

完璧でストイックな仕事をするインカ帝国の人達

【これまで歩いた総距離数】 7,885km
【現在地】 ペルー  クスコ
【旅の行程】
カナダ横断を一時中断して南米でバックパック旅
 2018年5月にカルガリーから旅再開予定







この旅初めて入ったクスコの博物館。入ってみたらインカ帝国の歴史に興味が湧いてきて、調べてみたら面白くてもう止まらない。
教科書だったら、ふぅ〜んで終わったかも知れないけど、この町で?この道が!この公園でそんな事がっ?
毎日歩いているこの場所で起きたことかと思うと臨場感が違う。
例のように、皆さんには今更の歴史だと思うけど、私は初耳だらけの疑問だらけ。
こういう歴史を調べて書くのは苦手なので、間違っているところがあったら、是非教えて下さいね〜。


宿の近くにある壁画。
インカ帝国のはじまりから繁栄、スペインの侵略、略奪、拷問そしてこれから、インカの歴史が描かれている。

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約200年間続いたインカ帝国。最盛期の範囲はコロンビアからチリまでと広大だ。
その広大な帝国の首都がここ『クスコ』だったんだから、ロマンを感じるなぁ。
クスコは、ケチュア語で『ヘソ』という意味。

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驚くのはそんな広い領土でも、しっかり支配管理されて、政治行政組織がしっかりしていたこと。特に情報伝達には凄く力を入れていた。

クスコの町を中心に、末端の村から情報を集めたり、流したりしていて、その為に道は出来る限り真っ直ぐに作った。
駅には『チャスキ』と呼ばれる俊足の飛脚をおいて、それぞれの地点へ最短で行ける様に工夫されていた。
チャスキは3kmごとにいて、彼らはリレー方式で、時に険しい崖道を驚異の速さで走り、命がけで情報伝達の任務を遂行していたそうだ。

例えばサンティアゴからクスコまでなら、今の道路でも2,900km。これを3kmごとにリレーしたら、967人のチャスキが確実にリレーしなければクスコの王には伝達出来ないってこと?
誰か1人でもサルモネラで倒れたりしたら、おしまいだ。

そしてその道こそが『インカ道』その長さ何と40,000km。
道は完璧なまでに清掃と整備が行き届いていて、
草一本、小石1つ見逃さずに清掃されていたそうだ。

道には『タンボ』と言われる宿泊施設があって、旅人が休むだけじゃなく、物資の貯蔵保管場所にもなっていて、物品をとても合理的に管理流通していた。
あっ!ワラスの宿『エル・タンボ』は、ここから来てる名前だったんだ!

当時のインカの人達は、ヨーロッパ人なんて話にならないくらいストイックで、完璧な仕事をしていたんだな。

その仕事の1つが、険しい山岳地帯につくられたマチュ=ピチュの遺跡。
そんな精密な仕事をするのに、インカ帝国では文字を使用していなかった。キープと呼ばれる綱の結びで、記録や統計をしていたそうだ。
チャスキは文字無しの結び目だけで、重要な伝達リレーを967人でしていたのか、凄いな。

農業はジャガイモを主食にして、山岳部ではすでに灌漑施設をもつ段々畑で栽培していた。(外から水を取り入れてしっかり管理出来る畑)
クスコもマチュピチュも、この水の管理システムが完璧で、マチュピチュが今もそのままの状態を保っているのは、優れた水管理の施設があるからだそう。

トウモロコシ、豆、芋など食物の保存法も、今でもこの時代と同じように続けられているから驚きだ。
前にも紹介した保存食チューノもその1つ。

料理前のチューノ、ブニョブニョしていて、干し椎茸のような感触。

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歴史の勉強の為に、また作ったチューノスープ。
(嘘です、簡単だからです)

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さらにリャマやアルパカを家畜にして食べていた。これも今でもレストランでステーキが食べれる。牛肉に似た味で美味しいらしい。いつか食べたい。
写真はクスコの町から30分くらい散歩した場所。

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インカ帝国は太陽を万物の創造神として崇めて、皇帝は太陽神の化身として崇拝された。
首都クスコには驚くべき石造建築技術で、太陽信仰のための神殿や皇帝の宮殿が建てられていたけど、残念ながらスペイン人に全て破壊されて、今は基礎部分しか見れない。
当時どんな街並みだったのか見てみたいなぁ。絵とか無いのかな?

最も神聖な太陽の神殿『コリンカチャ』のあった場所。

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これは、そこにスペイン人が建てたもの。

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そんな神聖だった場所も、今は広場のようになっているが、この日はたまたま何かの儀式をしていた。
後ろに見えるカラフルな虹色の旗はクスコ市の旗。

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当時の石組みの壁が、恐ろしいほど完璧に残っているロレト通り。
インカ時代の名前はインティ・キジュ(太陽へと向かう道)その名の通り、太陽の神殿に向かうこの道も、神々しく神聖な存在。
私みたいな凡人が、のこのこ歩けるような道じゃなかった。

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有名な12角の石
石職人が腕を見せる為とか、遊び心とか言われている。
通常の石組みは、石と石を付ける糊材に、石灰などを使うけど、クスコの石組みは使っていない。
石と石の互いに精妙な凹凸をつけて、カミソリの刃も通らないほど完全に隙間なく密着させている。
この技術は、小さな石ならまだしも、100トンもの石となると、現在の技術でも難しいそうだ。

クスコ近辺には、巨石の遺跡もあって、大きいもので数百トンにもなる。
この巨大な石の運搬方法は今もなお、謎のままだ。

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スペイン人は占領後、インカの建物を全て破壊して、石組みの基礎の上に、いくつもの建物を建てたけど、大地震がクスコを襲い、それらの建物は壊れたのにも関わらず、インカ時代に作られた石組みの基礎はビクともしなかった。
この時代は、鉄器が無かったのに、ここまで精巧な石を築き上げたインカ文明恐るべしだ。

私はてっきり新しく作った石組みだと思っていた。
いったいどうやって、こんなに大きな石を正確に削って、組み合わせたのか、、、、今もそのままの形が残っているなんて、神業の職人だ。

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ただ何となく歩いていたけど、色々知ってからは改まった気持ちで歩いてしまう。

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太陽神に仕えた巫女達もいた。
彼女達は特別で、神殿で完全に隔離され、生涯神に捧げる酒チチャや、織物などの貢物を織っていた。
チチャも織物の製法も、今なおそのまま残っている。

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トウモロコシを発酵させて作る、酸味の強い酒チチャ。
インカ時代は労役の対価に、政府主催の宴会も開いたりして、このチチャや織物を与えていた。
酒と言えども、飴と鞭の飴の部分で、チチャは重要な役割を果たしていたようだ。
屋台で売ってる、紫色のチチャモラーダはジュースで全く別物。


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織物は、ちょっと見ていただけで、気が遠くなるような手間と技術だった。
おばちゃんは、大昔にお母さんに教わったんだろうな。

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織物が天才的に上手くて、実は祖先が太陽神の巫女だった人もいたりして。とか妄想が止まらない。

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巫女はときに生贄にもなった。
500年前のものとみられる保存状態の良い子供ミイラ3体は、毛髪の分析で数ヶ月前から劇的な食生活の変化があったことが分かったそうだ。
芋、野菜の食事から、肉、大量のアルコールと、コカへ。
中でも13歳の生贄の巫女は特別で、一年も前から特別な食事を与えられていた。
ミイラの口の中には大量のコカが見つかり、死亡時にはほとんど意識が無かったのではないかと言われている。

1年も前から自分が生贄になることを知っていて、その準備をする13歳の巫女。


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Photo by Google






【それなのに、どうしてインカ帝国は滅びたのか?】


インカ帝国ほど、黄金にあふれていた文明はない。
代々の皇帝は、その聖なる証として「黄金」に絶対的な価値を置き、広大な領地の中から集めた金を、クスコに運び込んでいた。
毎年、クスコに運ばれてくる金の量は、現在の価値にすれば、5,400億円!

毎年5,400億円の金をクスコに運んでいたの!?
年貢米じゃないのねーーーー!!

だから、世界で1番早く金銀の加工がはじまり、その細工技術はもちろん世界最高だった。

けれどこの黄金を狙い、遠いスペインから侵略者がやってくることになる。


続きはまた次回!!




僕の家の玄関口も、草一本、小石1つ見逃さずに清掃してるから、インカ帝国の血を引いてる?と思った人も。
私って編み物上手って言われるけど、ひょっとして祖先は太陽神の巫女だったのかしら?と思った人もポチッとね。




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2017年から世界最長の『トランスカナダトレイル』を基本に、夫婦でカナダを徒歩横断していますが、冬は南米でバックパックの旅をして、2018年5月にまた、カルガリーから旅を再開する予定です。


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# by ayumiaruki | 2018-02-08 10:29 | Comments(2)
2018年 02月 05日

やっぱり日本人は和食なのか

【これまで歩いた総距離数】 7,885km
【現在地】 ペルー   クスコ
【旅の行程】
カナダ横断を一時中断して南米でバックパック旅
 2018年5月にカルガリーから旅再開予定





うぉーーー強烈に、ざる蕎麦が食べたい!

今まで和食に未練なんてなかったのに、体調崩して食べのも制限がかかった途端、無性に日本の優しい味が恋しくなっている。

まずはパチンっと割り箸を割って、麺つゆに、たっぷりのわさびと、ネギを少し、蕎麦と海苔を少し箸につまんで、つゆを少し付けたら、ずずずずっ〜〜ちゅるっと、、、、。

ぐぁーーー食べたいぞぅーーーー!!
素麺に生姜、うどんにちくわ天、茶碗蒸し。


日本を発つ最後の日は東京に住む同級生の家に泊めてもらった。日本最後は何が食べたい?と聞かれて、即答した天ぷら蕎麦。

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私達の第二の故郷、さつま町に帰ったとき、いつもご馳走になる『あび〜る館』の御膳。
畳に座布団、小さな箸置き、欠けていない綺麗なグラスに冷えたビール、心配せずに食べれるサラダ、茶碗蒸しのあの柔らかさと繊細な甘み、、、、。

日本はなんて安心で、美味しくて、清潔で、毎日お風呂まで入れる素晴らしい国なんでしょう?
離れてみないと、気付かないことあるなぁ。

日本食はもちろん食べたいけど、恋しいとか、無性に食べたいと思った事はなかった。
その国の人が食べているものが食べたかったし、興味もあったから。
あぁなのに、、、。

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退院後に丁度良かった。自炊も出来てゆっくり過ごせた宿。

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またアボカド?そうそう、ペルーに来てから良く食べている。
ペルーでは『パルタ』と言って、インカ時代から食べられていたんだそう。
何種類もあるけど、この洋梨みたいな形のが、フェルテ種と言って、滑らかクリーミーで甘みがあって美味しいし1番見かける。皮は薄くて手で剥けて、熟しても黒くならない。
日本に良くある丸いアボカドとは味が全然違う。

芋、トマト、玉ねぎ、アボカドは小さな売店でも売っている。
1.8ソル(63円)

朝は屋台ハンバーガー屋さんが道端にあって、ペタンコパンにこのアボカド、少し塩して挟んだのが美味しい。

アボカド味のアイスクリームもたまに売っているけど、まだ挑戦していない。

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イタリア人とペルー人のオーナーカップルもフレンドリーで旅好きで楽しかった。

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でも28ソルは私達にはちょっと高いから、(ダブルルームは23ソルくらい)ゲストハウスに移動することにした。
ここは、クスコ〜って感じの街並みじゃないけど、清潔な宿らしい。
『Embassy Backpacks 』
ドミトリー (18ソル)
マップスミーの場所は少し違うけど、ドアに張り紙があるだけでかなり分かり易い。

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入院中はずっと抗生物質を点滴していた(先生はこれをトリートメントと言っていた)でも、まだ2人とも薬を飲んでいて、食事制限がある。
体はかなり回復したけど、風邪の症状は続いてて、怠さが残ってる。
抗生物質で悪いバクテリアをやっつけ過ぎてるのか。
朝一番に、新しいバクテリアを作る薬も飲んでいる。
薬で殺して、薬で作る胃腸内のバクテリア。
そんなの聞いたら、大好きなコーヒーも、チョコクロワッサンもお預けにしない訳にはいかない。

処方箋も英語だからたすかる

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昨日は食後に、クッキーを一個食べてみた。
甘いっ!なんだこれ!砂糖の塊食べたみたいだ。

ほんの一週間、卵、乳製品、菓子類を食べないだけでこんなに味覚は変わるんだとビックリ。いや、これが本来の味覚で、私はかなり砂糖感覚を麻痺されているんだろう。
今なら食後はバナナの甘みが丁度い。

宿の中庭。

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鶏肉野菜スープ
芋のように見えるのは『チューニョ』というアンデスで古くから食べられている芋。
冷凍と解凍を繰り返し、ブヨブヨになったところで足で踏み、水分を抜いて、また乾燥させる。
芋の毒素が抜けて、胃腸に凄く良いそうだ。
宿のセニョーラがお腹を壊した時に、お粥と一緒に食べていた。

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鶏肉のトマト煮込み。
クスコにはどこのスーパーにもトマト缶が売っていなかった。
病院でも毎日鶏肉だったんで、とりあえず鶏肉を食べる。

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メルカド(市場)の鶏肉屋さんにも、すっかり顔を覚えられてしまった。
鶏肉とネギのパスタ(焼きそばじゃありません!)


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ペルーの宿には鍋は無くてもジューサーと、これが良くある。
ジューサーは果物が安くて美味しいから、みんな色々なフルーツで気軽にジュースを作ってて、ジューサーはフル活用。
私達も大好きなんだけど、今はフルーツがダメなので。
これ使ってみよう。

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家電大国の日本ならあるのかな?

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ピタッとしたパンに具材を入れて、挟んで焼くと、さらにピタッーーっとカリッとして美味しい。
あぁーこれにチーズ入れたら最高なのになぁ、、、今はチーズもダメ。
具は鶏肉トマト煮込み残りとアボカド。

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と、このように早寝早起き、散歩して、ひたすら自炊する日々。
自分でもよくこんな単調な日々をブログに書いたもんだと思うのだけど、これも旅の記録なので。



こんなにも和食が恋しいのに、Facebookで何気に和食をアップし続けている、罪なあなたもポチッとね。




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# by ayumiaruki | 2018-02-05 23:47 | Comments(0)
2018年 02月 03日

木曜日は夫婦でサルモネラ

【これまで歩いた総距離数】 7,885km
【現在地】 ペルー   クスコ
【旅の行程】
カナダ横断を一時中断して南米でバックパック旅
 2018年5月にカルガリーから旅再開予定






私、ペルーの病院もナメてました。
日々体が確実に回復してゆく。検査結果が早く体調不良の原因が次々と明らかになる。


でも病院のエレベーター内は、ちょっぴりペルー。

『あなたは1人じゃない、運命をつかみとれ!』
これは、マチュピチュでつかみ取ろうとした手が骨折しちゃたの?

この病院「You are not alone 」の文字がドアや壁、ペットボトル、いたるところに書いてある。
この文字を見るたび私の頭の中から、マイケルの歌声が聞こえてくるのだ。

ふみさん曰く、付添人のテーマソングなんだそうな。

「You are not alone 〜I’m here with you ♬」

って鼻歌歌ってる付添人、なんか腹立つんですけど〜〜。

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体調不良原因その2。
私はサルモネラ菌の他に、ジアルジアという寄生虫まで見つかった!!
ジアルジア寄生虫?!何だそりゃーーー!!
きっと拡大写真とか見たら、身の毛もよだつような、毛むくじゃらの虫か、ミミズみたいな気色悪いの出てくるんだろうな。絶対に検索なんかして画像見ないぞ!

見ないぞ、、、、。

やっぱり見た。

えっ?

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ジアルジアふざけてるのかーー!こっち見て笑ってる宇宙人?なんか可愛いじゃないか。

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こんなのお腹にいるのかい?!


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ということで今回は。

【ジアルジア予備知識】
ジアルジア症は汚染された食品や水、人間同士の接触(毛布やドアノブ)で感染します。

衛生管理が悪く、水の危険性が高い地域に多く見られます。

症状には、水様性の下痢と脂肪便が交互に現れ、疲労、痙攣、げっぷが起こることもありますが、人によっては無症状のこともあります。
ほとんどの場合は、数週間以内に自然治癒します。重症の場合は抗生物質で治療します。

で、私は抗生物質の治療になった。

それにしても毛布とドアノブって、、、そんなに簡単に感染するの?
安宿の毛布って、いかにもダニとかシラミとか居そうで、絶対首とか直接肌に触れないよう、シーツ覆っていたんだけど、ジアルジアちゃんは、ノーマークでした。

ペルーのとある宿、一晩でこんなのがお腹や背中にも出来て、5日間猛烈に痒かった。
宿の人は蚊に刺されたのかしら??とか言ってたけど、毛布にくるまって寝てましたーー。

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安宿もダメ、安食堂もダメ、やっぱりテントが1番ってことか。

で、『なんちゃって付添人』は何してんの?
また私より豪華な食事食べて、ワイン飲んで良い気分なのかい?

安食堂でメヌーを食べてから、激しい頭痛の後、高熱を出して吐いたフミさん。
2日程で体調は戻っていたけど、力んだりすると頭痛がするのだけは、少し気がかりだった。
体調は良いから治っていると思っていたけど、私の入院中にまた頭痛が起こり、看護師の勧めで保険会社にも連絡して念のため血液と便の検査をする事になった。

血栓があるとか脳梗塞の予備軍みたいのだったら、どうしよう。

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結果は、、、、。


「サルモネラ菌ですね」

えっ?

付添人もサルモネラーーーーー!!


ふみさんの便の結果はまだだけど、血液検査から見て、寄生虫もあるでしょうとのこと。

『サルモネラ寄生虫夫婦』じゃないか!!

サルモネラ確定なので体温、血圧などなどもチェックする。

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ふみさんは、倦怠感や疲労の症状が無いから、薬のみで対応する事になったから、今日退院出来そうだ。

名残惜しいようなホテル、、、じゃなく病院。
最後の昼食、手前が私。
同じサルモネラでもやっぱりメニューは違う。
いや、入院中って食事が楽しみなのよね〜。

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退院しても、この環境からもう前の宿には戻れない。
ムリムリムリ、これが人間ってものです。
10ソルから、28ソルの宿に格上げして体調を回復することにした。

『Chusay Homestay San Blas』
清潔で静か完璧です。

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朝食付きなんだけど、今は食べれない物が多いのが残念。

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先生からは、数日間は外食せずに自炊するようにとのこと。

【食事注意事項】
①これからも安い食堂には行かないこと。
(はいっ!勿論です)
目安は6ソル、それ以下はやめた方が良いそうだ。
もう外食出来ない、、、。

②数日間は、野菜のスープ、グリルした柔らかいチキンと、茹でた野菜、芋、米を食べて栄養を摂ること。
バナナ以外の果物、ヨーグルト、牛乳、卵、バター、コーヒー、揚げ物、サラダはダメ。

③歯磨きも水道水は使わないこと。水には本当に注意してと何度も言われた。

④キッチン用品は清潔な物を使うこと。


宿で料理する時は必ず、食器、フォークナイフ、調理器具、特にまな板と包丁は綺麗に洗ってから料理していた。
こんなことしてる人、他に見たことないんだけどなぁ。
これが毎回面倒なんだけど、続けよう。

自炊出来る宿で良かった。しばらくは毎日野菜スープだな。
宿のベランダで。

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それにしても、いつどこでサルモネラに感染したんだろう?

【今回の体調不良経由】
(あゆみ)→高山病下痢→回復→
(ふみさん)→安食堂→発熱嘔吐→翌日→
(宿のセニョーラ)→腹痛、嘔吐→翌日→
(あゆみ)→下痢、発熱、倦怠感

ふみさん安食堂嘔吐の翌日から、次々と体調崩してる?

付添人、お前が感染源だったのかーーーー!!

前の宿のセニョーラ、アリスは症状が違うからふみさんじゃないと言っていたけど、先生いわく、同じサルモネラでも、人によって症状は違うそうで、実際この3人もそれぞれ症状は、全く違っていた。
アリスはお腹を掴まれた後に、ねじり込むような腹痛の波が襲って来ると言っていた。
潜伏期間の2日間以内に、しっかり次の人に移っているのも素晴らしいバトンタッチだ。

そんな訳で、退院後は2人で野菜スープ飲んで、薬を飲んで、散歩という老人のような生活をしている。


『Chusay Homestay San Blas』の宿は、快適でオーナーカップルも良い人なのに、すごく分かりづらい場所にあるので写真。
この坂を登ってくる。

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左の建物が宿。というかオーナーが住んでいない、貸し家タイプで、Airbnb みたいな感じ。
3人部屋のドミトリーと、ダブルベッドの部屋だけだから静かで落ち着いてるし、リビングのWi-Fiが早い。
タクシーは遠回りして、下の通りまでしか来れない。

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外観からは分からないけど、部屋の中からの眺めは良い。

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私はここ一週間、ほとんど歩いていないから、退院翌日は一時間の散歩から。

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あ〜こんな風景久しぶりだなぁ〜。
ちょっと歩いただけなんだけど、無性にリュック背負って名もない道を歩きたい衝動にかられた。
やっぱり歩いてないと、体力もなくなるばかりだ。
歩きたい、歩きたい!!あーもう限界ってくらい毎日歩きたい。

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少し歩けば遺跡に当たる。さすがクスコ。

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付添人が飲んでたワインは、悲しくもペットボトルの中で付添人の回復を待っている。
あ、それなら鶏胸肉を煮るのに使うか!!柔らかくなりそうだ。

しばらくワイン飲めない付添人、あ〜可愛そう。

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この夫婦が日本に帰国しても、握手とハグは、やんわり遠慮しておこうと、思ってしまった方もポチッとね。


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2017年から世界最長の『トランスカナダトレイル』を基本に、夫婦でカナダを徒歩横断していますが、冬は南米でバックパックの旅をして、2018年5月にまた、カルガリーから旅を再開する予定です。


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# by ayumiaruki | 2018-02-03 11:25 | Comments(4)
2018年 02月 01日

月曜日はクスコの病院

【これまで歩いた総距離数】 7,885km
【現在地】 ペルー   クスコ滞在   13日目
【旅の行程】
カナダ横断を一時中断して南米でバックパック旅
 2018年5月にカルガリーから旅再開予定

『Now we are in Cusco,  Day 13』







ここは眺めの良い高級ホテルなんだろうか?
点滴付きの、、、?

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アドレナリン全開でカーニバルの写真を撮った後から脱力感と共に、喉が強烈に痛み、鼻水、咳、もちろん下痢。

何が辛いって、宿はすぐにトイレに入れないこと、それでつい水分も控えてしまう。
それと満室、換気無しのドミトリー 部屋で、他の人に移してしまうこと。
すでに1人に移してしまった。
そして、こんな具合の悪い人が部屋に居たら、他の人も気を使うだろうし、もう覚悟を決めて病院へ行くことにした。
そして、そのまま入院する事になったのだ。

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今回の旅は、海外旅行保険に加入して来た。
2人で2年間60万円は痛い出費だったけど、自分達に何かあった時、家族にかかる負担も考えて決めた。

調べたところ、病院で支払いをせずに受診するには、事前に保険会社へ電話連絡して、保険会社指定の病院へ行かなければならないようだ。
電話か、どうしたものか。宿のセニョーラ、アリスに聞いたら
「電話だったらセントロの公衆電話ね、日曜は使えないから月曜日の朝に行くしかないわ」
との事だった。

仕方なく翌朝まで待つ。
朝7時にフミさんが電話をしにセントロまで行ってくれたが、公衆電話の場所と掛け方が分からず、7人に聞いてやっとかけれたそうだ。
やっと保険会社に連絡が取れてからは、メールでのやり取りをし、結局指定の病院の指示がもらえたのは昼だった。
熱があったし前日夜から、この昼までが1番辛く長い時間だった。

海外旅行者の連絡手段は、殆どがフリーのネットなのに、どうして電話のみの受付なんだろう。(24時間だけど)
Skypeの電話など、ネット環境で連絡が出来れば良いのにと思った。
他の人は宿で借りるのかな、でも宿のアリスも日本への電話は、高額になるのを心配したから、公衆電話と言ったのだろうし、その気持ちも分かる。

(クスコでの公衆電話の掛け方は、ふみさんのブログで)


この後、家族や友人から連絡があり教えてもらった事実。
スカイプでも課金すれば、ネット環境で普通に電話がかけられると!
知らなかったーー!
海外旅行に行くみなさん、保険とスカイプの課金も忘れずに。



アリスがタクシーに料金の交渉をしてくれ、病院へ向かう。
後でこの写真見て思ったんだけど、顔がやつれてるな。

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病院は「O2 Medical Network」

セントロから2.5キロ程で、宿からタクシーで6ソル。
受付に行くと「アユミ コダマね?」と私の病状など、保険会社からすでに連絡が来ているようで、ここからはとてもスムーズだった。
パスーポートを渡して、受付用紙に記入したら、直ぐに診察室へ。

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先程の受付の人も、先生も英語がペラペラだし、この流れといい、外国人観光客の受入れに慣れているようだ。

診察後は、個室に移り採血などして、すぐに点滴開始。
脱水状態だったようだ。
保険会社へ提出する日本語の用紙などにも記入して、尿と便のサンプルも取ることになった。

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今日は2人とも何も食べてなくて、午後2時過ぎだと言うのに特別に昼食まで出た。
美味しいし、安心して食べれる。

そして何故か付き添いフミさんの分まで?!

私は何より、食べて直ぐにトイレに行けるのが嬉しかった〜〜〜。
そんな心配がないと、しっかり食べれて、水もゴクゴク飲める。

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血液での検査結果も直ぐに出た。
「サルモネラ菌です」
サルモネラー!!ってあの食中毒の?風邪じゃないの?
それと喉に潰瘍が出来ていてリンパが腫れて症状も悪化しているのと、今回のサルモネラは点滴からの薬で少しづつ菌を殺すので、時間がかかるそうだ。
それと白血球数の数値がかなり高いので、このまま入院することになった。

そして付き添いのフミさんも?!え、いいの?
しかも!私のベッドより大きなキングサイズ?
部屋は一面窓で、快適な椅子にこの景色!
さっきまで居た宿とのギャップが激しすぎる!!

ちょっと嬉しいような、悔しいようなサルモネラ。

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熱は37.4と、それほどでもないわりに、体はまだ怠くて寒気もしてたけど、安心感が大きかった。
ほんと来てよかった。

そして夕食。
なーんと!付添いのフミさんはチキンソテーで、、、。

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私はスープとビスケット、、、。

仕方ないのよ、サルモネラ。

でもこのスープは一口食べて、体が求めてるものだと思った。
スープの中の茹でた人参と、柔らかいチキンが沁みた〜〜。
食事もちゃんと考えてるんだなぁ。

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翌朝。
フミさんにはジュースと、コーヒーが付いてる!
実は昨日、自販機のコーヒーをちょっと飲んだら看護師さんに「それはあまりいい考えじゃないわね」と注意されちゃって、、、。
コーヒー飲みたいなぁ。

でも飲めない、だって私はサルモネラ。

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昼食!
大好きな『ロモサルタード』とスープも美味しい。
結構肉が出て来る。

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スープにも、チキンと野菜がたっぷり。

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シーツは毎日交換してくれるし、ミネラルウオーターも常に3本用意してくれて、ゴミ箱も毎日2回は綺麗にしてくれる。
ちょっと寒くて、と言ったら速攻で毛布を持ってきてくれて、ここが、ペルーだと言うことを忘れてしまいそうになる。

点滴はこの部屋に入った時から、ずっとし続けたままで、お腹の調子が良くなって来てから、喉の治療に入ったところだ。

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夕食。
紅茶、砂糖に病院の名前が書いてある。
シーツ、タオル他のサニタリー、ペットボトルまで病院の名前入り。
まるでホテル、そうだペルーに来てからこんな個室と、豪華な料理が1日3食付いてるなんて初めてのことだ。

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バスルームはバスタブ付き。

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翌朝、今日は喉の潰瘍を取る事になっている。
だからか、朝の楽しみフルーツが無いよ〜〜。

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あ〜〜フミさんのには、ジュースとフルーツとコーヒーまで付いてる!むむむ!

ちょっと悲しい、サルモネラ。

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ははは、昼食は同じだよーーー。

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と思ったら、いつのまにかワインと、つまみのスナック買ってるし!!

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なんだこの付添い人!!

なんだか、だんだん腹立ってきたよ、サルモネラ。

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サルモネラ、いつから感染してたんだろ?フミさんが吐いてからは基本自炊だったけど、一度安食堂も行ったな。

【ここでサルモネラ予備知識】

サルモネラ菌は、半日から2日間の潜伏期間を経て、激しい腹痛、嘔吐、発熱、下痢などの食中毒症状を引きおこします。

熱は38度から40度近くまで上がり、下痢は水のような便で、血や膿が混ざることもあります。

通常は、このような状態が3日ないし4日続いたあと、次第に症状が和らいでいきますが、中には1週間程度ひどい状態が続く場合もあります。

感染源として多いのは卵で、オムレツや手作りケーキ、鳥、豚、牛の肉、サルモネラに汚染された調理器具や、感染したペットの糞尿から感染する場合もあるそうだ。




体調は随分良くなった。喉の潰瘍も小さくなった。
そして、固形のモノが出たーーーー!

固形は良いね、久しぶりだよ、サルモネラ。

元気になって退院出来れば良いな。




『サルモネラ』の意味不明なくだりがよく分かりませんが、頭の方は大丈夫なのかしら?と心配した人もポチッとね。



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2017年から世界最長の『トランスカナダトレイル』を基本に、夫婦でカナダを徒歩横断していますが、冬は南米でバックパックの旅をして、2018年5月にまた、カルガリーから旅を再開する予定です。


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# by ayumiaruki | 2018-02-01 12:00 | Comments(2)